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2011年7月28日

前回エントリー、トマールはテンプル・キリスト騎士団修道院のマヌエル建
築と呼ばれる「大窓」にあるシンボル、バックルつきのベルトの意味は何か
と謎解きに挑戦してみました。
下記、もう一度、件(くだん)の写真を。

janela_garter

①ガーター騎士団

2007年に訪れて以来、思い出してはこのシンボルの意味するところを調
べてきましたが、なかなかこれかと思われるものに突き当たらず。
それがらみで時間に任せてあちこちネット内をサーフィンしているうちに、
ある日出会ったのがイギリスの「The Order of the Garter」こと「ガーター
騎士団」です。
ガーターとは、最近では女性もめったに着けなくなった「靴下止め」のこと。
そんなガーターの騎士団とは一体どんなものなのか?

14世紀の半ば、イギリスのエドワード三世が設立した騎士団で、フランス
との百年戦争のために団結力を結束させることを目的に、「アーサー王と円
卓の騎士」を真似て24名の騎士を編成したのが始まりだと言われます。

騎士団は君主から「ガーター勲章」を受ける形をとります。勲章一式はブル
ーの生地に金糸で「Honi soit qui mal y pense(よこしまな思いなる者災
いあれ)」とフランス古語で刺繍されているガーター、黄金の首飾りとそれ
につける記章、星の記章(下の画像で女王がきているマントの左胸にある)
大綬章で構成されています。
 
ガーター↓は男性団員は左ひざに、女性団員は左腕につけるのが習慣とされます。
comventocristo?garter
wikiより 
       
これは現在もイギリス王族に引き継がれており、1948年以来、毎年6月
にウインザー城でセレモニーが行われるとのこと。
勿論、現在のマスターはエリザベス女王です。
conventcristo_garter
wikiより

この写真からウイリアム王子もガーター騎士のメンバーになったことが分かり
ますね。黄金の鎖をさげています。
conventcristo_garter
wikiより

さて、この辺まではこれまでの調べで分かっており、ベルトと思っていたト
マールのテンプル・キリスト騎士団修道院、マヌエル式大窓にあるものは
ベルトではなくてガーターではないか?と思い始めてきました。

しかし、これだけではつながりが明白でなく憶測の域をでません。そこで、
「ガーター騎士団」の由来を辿ってみることにしました。

ガーター騎士団は、イギリスのエドワード3世が設立したのですが、その歴史
は12世紀、獅子王と呼ばれたリチャード一世の十字軍遠征に遡ります。

十字軍遠征は11世紀から13世紀の間に9~9回の遠征があり、12世紀
後半の第3回目の遠征にリチャード一世は参加しました。
この時、リチャード一世は加護として自身が崇敬する聖ジョージ(聖ゲオル
ギオス)の象徴である白地に赤い十字をあしらった旗を掲げ、同じく聖ジョ
ージが足に着けたと言われるガーターを着けて闘いに臨みました。
(上の写真、ウイリアム王子のマント、左胸にあるマークがガーターの真ん
中に象られた聖ジョージの旗です)

この時の旗が後のイギリス国旗、ユニオンジャックの元になるわけですが、
このことから後に聖ジョージはイギリスの守護聖人にもなります。

当時の騎士がガーターをつけたのには、そこに武器を差し込むためと考えら
れます。

ここに来て、トマールにある大窓の木に巻かれているのはベルトではなくて
「ガーター」ではないか?と思い始めたたのですが、ガーター騎士団は英国
のこととて、これだけでは決め手になりません。
そこで、まず「聖ジョージ」とはいったいどういう人なのかを調べてみるこ
とにしました。

この続きは調べがついているのですが、まだまとめが仕上がっていません。
ちょうど面白いところで申し訳ない!明日には更新できると思いますので
いま一日の猶予をください。

さて、ポルトはやっと少し暑くなりました。我が土曜日の日本語教室も先週で
ひとまず終了し、自宅教室の生徒さんたちもほとんどが休暇に入りましたが、
まだ頑張りたいという熱心な生徒さんもいます。

なにしろ我が家のクーラーと言えば例の問題移動クーラーな訳で、できる
ものなら使いたくない。暑さにはからきしダメなわたしですし、そろそろ少し
の期間はデレ~~ンとして怠けてみたい

そしてその後は10月に市立図書館で上演決定となったボランティア影絵の
準備です。BGMは既に決めてあるので、近頃は毎日その音楽を流してイメージ
を膨らませては、「よし!やるぞ!」と(笑)

近況でございました^^
それでは、明日は謎解きの続きと参ります。

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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年7月28日

前回、トマール、キリスト騎士団修道院、大窓にある「ガーター」(笑)謎
解きの続きです。


聖ジョージの黄金伝説
下の絵はラファエルによる「聖ジョージとドラゴン」です。
聖ジョージの象徴は白馬、竜、赤い十字。
            
conventocrisot_garter
                 wikiより。

聖ジョージはカッパドキア生まれでローマの軍人ですがキリスト教徒だった
と言われます。伝説には、ある村を聖ジョージが通りかかったとき、竜のいけ
にえとして王女が差し出されるところを、聖ジョージが竜を退治し、村人たち
がキリスト教の教えを受け入るとされています。
聖ジョージは後に異教徒に捕らえられ、棄教しないがため斬首され、殉教者
になっています。

さて、上の絵の足の部分を拡大してみましょう。画像があまりはっきりして
いませんが、左足にはガーターが見えます。
conventcrisot_garter

こちらの絵は19世紀の英国画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの聖ジョ
ージを描いたロマンチックな絵です。抱かれているのは助けられたサブラ姫。
conventocristo_garter

この絵では聖ジョージの膝にはっきりとガーターが描かれています。
(ここでは小さなベル、そして二人の天使?の胸にある大きなX文字、更に
その天使の横の青字X文字、それと聖ジョージの右肩にあるマークは何なの
か、気になっているですが、今回はそれを置いときます)
    
聖ジョージを尊崇するリチャード獅子王から後のエドワード3世はガーター
をシンボルにしたわけです。ガーター騎士団の金の首飾りに下がる記章も白
馬に乗り、竜を退治する聖ジョージが象られています。

ここでガーターと竜のシンボルが結びつき、トマールの大窓の右の大木に巻か
れているのはガーター騎士団の二つのシンボルに8割がた間違いないと思い
ました。しかし、これはイギリスの話であって、ポルトガル国王とはどのよう
なつながりがあるのか。

ガーター勲章の叙勲はキリスト教徒のヨーロッパの君主に限られていたとあり
ます。ポルトガルとイギリスの両国は14世紀にランカスターのフィリパ王女
とポルトガルのドン・ジュアン一世の婚姻以来、常に同盟関係にありました。
さすれば、ポルトガル王たちがガーター騎士団に入団していても不思議はない
はず。

因みに、ドン・ジュアン一世とランカスターのフィリパ王女との間には3人の
王子がおり、その一人が後のエンリケ航海王子です。

さて、そこで、仕上げとしてドン・マヌエルが果たして本当にガーター騎士団
メンバーであったのか、この確認には日本語ポルトガル語では出てこず、時間
を要しました。

先週の数日、これを追ってずっと検索していたのですが、ついに英語サイトで
ガーター騎士団の過去から現在に至るナイト(騎士)とレディーのリストを
ゲット!

そして、ビンゴ!ヘンリー8世(1509-1547)の時代のリストに
「Manuel I, King of Portugal」の名前を見つけました。
こういう時は本当に嬉しい!

これで、大木に記されたシンボルの謎解きはできたことになります。

テンプル・キリスト騎士団修道院は現在では世界遺産に指定されています。
「ただ古いだけでなんだかあまり面白いと思わなかった」という人もいるの
ではないかと思われますが、何世紀もの建物をそのままにしてあればこそ、
古さのなかに秘められた遥かな人間の歴史、人間の思想が潜んでいるのを
知ることができます。

それらを追い求めて調べていくうちに多くの伝説や歴史的な物語に接する
ことができます。西洋の歴史はキリスト教を知る必要がありますが、信者で
ないわたしの目からみる宗教の歴史は面白く、また、キリスト教が絶対宗教
だった中世にあって、それとは別の異端思想を密かに守り通そうとした人々
の存在がうかがわれるのには、多いに興味を惹かれます。

自由な思想を表現できる現代にこそ、歴史を学ぶことで、自由とは何かを
少し理解できるような気がします。

最後にもうひとつ、面白い発見を。

エリザベス女王をマスターにいただく「ガーター騎士団勲章」ですが、日英
同盟の関係で例外的にアジアの国の元首として初めて、明治天皇に叙勲され、
大正天皇、昭和天皇も同じく叙勲されているそうです。しかし、第二次世界
大戦では敵国となったため、名簿から削除。

1971年に復帰、1998年のイギリス訪問で今上天皇(きんじょうてん
のう)も、メンバーに記録されており、ヨーロッパ人以外でこのガーター騎
士団メンバーになっているのは日本の天皇のみとなっています。
(wikiからの参照)

ガーター騎士団現メンバーには、サッチャー元首相、ジョン・メジャー元首
相も記録されており、24人の騎士団の24人目は目下空席。
「何がなくても誇りだけは」と陰口を叩かれるイギリス人ではありますが、
古い伝統を頑固に守り通そうとするのには、尊敬の念を抱かずにはおられま
せん。

トマール大窓、片方右側の大木にあるシンボルの謎はこれで一件落着です
が、この大窓には他にもまだ摩訶不思議なシンボルが見られるのです。
それはまたの機会に、と思っていますが、ちょびっと予告編(笑)

janela_homen
大窓の下にいて、全てを支えているこの人物は、Who is he?

本日も長いエントリーを読んでいただき、ありがとうございます。
面白いと思われたら、右欄のランキングマークのどれでも結構です、クリック
していただけたら嬉しいです。

では、皆様、また明日!
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テーマ:ポルトガル
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2012年1月23日 

ここ数日、暇をみてはパソコンに向かい、探し物をしている。

自分が撮影してきた画像、特にトマールやシントラなどの「spacesisの謎追っ
かけシリーズ」の資料となるべき写真は、このところじっくりみることがなかっ
た。

そこで、先週土曜日夜、久しぶりに昨年夏に再訪してきたトマールの元テン
プル騎士団修道院、現在はキリスト騎士団修道院にあるドン・マヌエルが
造らせた「大窓」の写真を大きな画像のまま、既に紹介済みの「ベルト」や
「ドラゴン」などを眺めながら、面白いものだなぁ。大の大人、国王たる者
にこのような不思議な建築様式をさせるその根本はいったい何なのだろかと
そこが知りたくて追っかけをしているのだが、眺めながら、ふと長方形の
大窓の上にある丸窓に目を移した。

tomar

ゴチック様式建築ではよく見かける丸窓です。窓にある渦巻状模
様がひとつ、ひっかかってはいたのだが、これまであまり気にとめ
ずにきました。

しかしですぞ、わたしとしましては心踊る発見をこの丸窓にしたのであります!
拡大した画像にみえたのは、これです↓
tomar
こ、これはなに?
よくよく見ると人間の顔、そして前に両手。。。スフィンクスではない?

tomar

しかもよくよく見ると羽を持っているように思われます!
「翼を持つスフィンクス」は、アッシリアやペルシャ王朝時代のスフィンク
スがあります↓

tomar
ペルシャ王朝のダレイオス・スフィンクス(480BC) 

トマールのキリスト騎士団修院は12世紀から17元はテンプル騎士団に
よって建てられ、12世紀から17世紀にかけて増築を重ねたものです。
特にこの大窓を造らせた16世紀のドン・マヌエル王の時代は大航海が
もたらす巨万の富によりポルトガルが栄華を極めた時代。ドン・マヌエル
はポルトガル歴史上、最もリッチな王と言われます。

このマヌエル建築様式の大窓に何が故、スフィンクスが置かれているのか。
この丸窓の渦巻き模様も含め、多いに興味がわいてきたわけですが、実は
この窓、他にもまだ面白いシンボルがあるのです。
以前チラリと出した謎↓
tomar
樹の根を両手で支えている帽子をかぶった男の顔。

tomar
わたしがこのところずっと検索しているものの、未だにひっかかってこない
シンボル「鈴」の意味。

鈴のシンボルは他の箇所でも見かけられます。この大窓にはその他にもミス
テリアスなシンボルが色々あり、徐々に取り上げて行きたいと思っています。

ドン・マヌエル王はこの巨大な窓にこれほど多くのシンボルを隠して一体後
世の人々に何のメッセージを残したかったのか。或いはこれらのシンボルは
それを解読できる極一部の人たちに残したメッセージなのか。
だとすれば、それは誰なのか?

キリスト騎士団の総長の名を冠した王だが、これらのシンボルから見える王
のプロフィールは、教会から見れば「異端」と糾弾されてきた、秘儀参入者
そのものとわたしには思われるのです。

ドン・マヌエル王の謎に挑戦するわたしは、あたかも「朝には四足、昼には
二本足、夜には三つ足の生き物はなにか」と謎を投げかけては、それを解け
ない旅人を殺していたと言われるテーバイの美しいスフィンクスの前に立つ
凡な旅人のような気がしないでもない。

この謎解きにはとても時間がかかり、多くの資料に目を通すことになりそう
です。フダヴィンチ・コードから発したライフワークですね^^

そろそろ夜が更けました。
本日もブログを読んでいただきありがとうございます。

ではみなさま、また。
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テーマ:ポルトガル
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2017年6月10日
 
ポルトガルだからねぇ、と大概の「あらら」ニュースは聞き流すのですが、今回は有り得ない!と、珍しく額にまゆを寄せています。
怒ったり不満を言い募ったりすることは負のエネルギーを抱え込むことになり、その日が楽しくなくなるので、普段小さなことには余りしつこくこだわらないようにしています。あぁだこうだと細事に至って議論めいたことをふっかけていた若い時とは大きな違いです(笑)

もちろん、ニュースにはちょっと待てぃ!的な出来事もありますが、自分が手助けできないことに関しては、数日もすればケロリと忘れてしまう性格です。

それが、有り得ないよ、これは!と、この数日身近な夫とポルトガル語のDias先生に気持ちをぶちまけていたのです。そういうことや悲しいことはすぐにブログに取り上げると直情的になりがちなので、わたしは時間を置いてからブログ記事にとりあげます。
ここ数日、情報を確認しながら、やっぱりこれは有り得ない部類だと思い至ったので、今日は自己メモとして書いておこうと思います。

Terry Guiliam(テリー・ギリアム)監督と聞けば、わたしなどは「12モンキーズ」と「フィッシャーキング」を思い浮かべるのですが、ポルトガルのTVニュースを見て目を耳を疑ったのは、この監督が新作の撮影現場でしたことなのです。現場がなんとポルトガルの文化遺産、そして世界遺産にもなっているトマールのテンプル騎士団・キリスト騎士団修道院。

トマール・キリスト騎士団修道院
2016年9月撮影

2000年にテリー・ギリアム監督がメガホンを取ったものの、アクシデントが続き一週間で制作が打ち切られたと言ういわくつきの映画「The man who killed Don Quixote(ドン・キホーテを殺した男)」なのですが、2011年の公開予定の大幅に遅れたものの、トマールでの撮影終了でついに完成したと監督自身が先だって、つまり今年の6月に発表しています。

足掛け17年に渡って完成した作品にケチをつけたくはないのですが、ロケーション現場への敬意を失っていたとしか思えません。その結果、目下ポルトガルでスキャンダルとして取り上げられているのです。

トマール・キリスト騎士団修道院

まず、上の画像はテンプル・キリスト騎士団修道院の全様です。修道院は、12世紀にテンプル騎士団が建てた左に見える16角の円堂Charola(シャローラ)こと、騎士団の聖堂を最初に16世紀までに渡り、増築されて現在残っているのです。

円堂から出ている長方形の部分は、かの有名なドン・マヌエル王が造らせたマヌエル建築様式の華麗かつミステリアスな大窓があります。赤丸印が撮影現場、Hospedaria回廊です。五箇所の緑の円は植物が植えられています。

撮影は下の写真に見られるように、回廊の中心に聖母マリアの人形を置きガラス瓶やプロパガスなどで組み立てられた高さ20メートルのセットを焼くシーンなのです。

トマール・キリスト騎士団修道院

その結果左が元の回廊、右が撮影後、すすけてしまった同じ回廊です(カメラ撮影の方向が違いますが)植物を植えた五つの箇所は切られ、刈り取られ石のようなもので埋められています。

トマール・キリスト騎士団修道院

トマールキリスト騎士団修道院

20メートルもの炎が産み出す温度、煙、ススで、撮影現場になった回廊だけでなく、他の部分も影響を被ったことは否めないでしょう。

トマールキリスト騎士団修道院

回廊に隣接する、我が愛するマヌエルの大窓がすすけているではないか(怒)赤丸箇所も破損しています。炎上が引き起こす破壊は、今目前の破損だけではありません。高温が石に与えるであろう破損はこの後、雨や強い日光にさらされたりして、この先何年も影響が出てくると思います。

すすの部分は塗り替えればいいなどと考えてはなりません。塗り替える前にまずこのすすを落とさなければならないのです。これは、数年前に義兄宅が小火(ぼや)になったときに知らされたことなのですが、大変な作業なのです。

また撮影機具の移動、人の移動などで建物の石が破損された箇所がいくつもあるそうです。
トマール・キリスト騎士団修道院

トマールキリスト騎士団修道院

トマール・キリスト騎士団修道院

なんだ、たかが石少し破損しただけじゃないか、などと言ってはいけません。世界遺産建物の建築材石は16世紀と見積もっても500年以上も前の石で、替わりはありません。

トマール・キリスト騎士団修道院

保険に入っていたとは言え、これから先数年、或いは十年先の修繕費を予測しなければならないことを考えれば、とてもカバーできる額ではないでしょう。

それもそのはず。こうなって当然です。院内にこんなものを持ち込んで移動してたんですから。↓

トマール・キリスト騎士団修道院

テンプル・キリスト騎士団修道院は過去に、ウンベルト・エコー原作、ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーター主演の映画にもなった「薔薇の名前」の劇の上演会場として提供したことがありますが、その時は、一切機会の持込み、電気使用も禁止というので、ろうそくのみで別の回廊で上演されています。

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「薔薇の名前」はその題からロマンチックな物語だと思われがちですが、宗教裁判の嵐が吹き荒れていた1300年代(この年代はテンプル騎士団の時代でもあるのですね)、北イタリアのとある山頂の修道院で起きる連続殺人事件を描いた長編小説です。

調べてみると、この映画の撮影は、(以下wikipediaから引用)

三箇所で行われ、一つは北イタリアの山地に実際に造られた野外セットで、ここには巨大なパネルの修道院と文書館の建造物が建てられた。
修道院内部の礼拝堂等は、ドイツのヘッセン州エルトヴィレ・アム・ラインにあるエーバーバッハ修道院(commons:Monastery Eberbach)を改装して利用した。エーバーバッハ修道院は葡萄酒の貯蔵場所として使われていて、もはや修道院として人は住んでいなかったが、改装により中世の修道院の内部が復元された。第三に迷宮図書館は、ローマ郊外のチネチッタ撮影所内部に造られたセットであった。


と、あります。

このような歴史的に貴重な建築物は、破損する可能性があることを考えると、今回の撮影も予算はかかってもセットにすべきであったろうと思うのです。しかし、問題はそれだけではありません。使う人がいるということは、許可する人がいたということ、それこそが大問題です。

修道院の責任者は己が管理する世界遺産を何と考えているのだろうか(怒)!また、修道院だけの許可だけでなく、文化省へも書類を上げなければならないはずです。その辺のところが、なぁなぁのポルトガルなのかなぁ、と思ったりするのですが、これは今の時点では判明していません。

経済的な話になりますが、世界遺産に登録されてもUNESCOからは補助金はでません。しかし、保有国にはその遺産を保護する義務と責任が生じます。まだまだ経済が停滞した状態が続いているポルトガルでは、近年少しずつあちこちの世界遺産の修繕が始まりましたが、リスボンやポルトと違い、地方都市にある遺産建築物は、訪れる観光客が少ないのが現状です。

テンプル・キリスト騎士団修道院も、わたしのように物好きで修繕がどの程度進んだかなどと何度も見に行くのは極々一部でしょう。ですから、著名な監督の映画撮影の現場になったと言えば、人を呼ぶことになるのは確かで、観光客が増えれば修道院の収入増にもつながるわけですが、今回は破損を招いたのですから大きな責任が問われて当然です。

責任者はああだこうだと言い逃れていますが、取調べが入るのは時間の問題ですが、いずれにしても覆水盆に帰らず。

世界遺産指定建造物や美術館、図書館と、公の責任者は大使同様、数年毎に変わるのですが、今回は重ね重ね残念な話です。

それで、ふと思い出したのですが、10年以上も前、一番最初にわたしがこの修道院を訪れた修繕が入っていなかった頃、聖堂の中心には石のテーブルが置かれてありました。ある方向からは、下の写真のように三脚に見える五脚の石のテーブルです。

トマールキリスト騎士団修道院

聖堂の真ん中にあるからには、大きな意味があるのだろう、ここでどのように祈りを捧げて戦場へむかったのか、或いは、これは騎士団入団のイニシエーションに関係ガあるのだろうかと、このテーブルにいたくわたしは惹かれたものです。

トマールキリスト騎士団修道院

ところが、修繕が入った時期からこのテーブルが取り払われていました。ま、聖堂の中心は祭壇でもありますから、そこを修繕する間、破損を恐れてどこかに保存されているのだろうと思っていたのです。

祭壇の修繕が終わった今日もそのテーブルを目にしていません。どうして、誰の判断でそれが取り払われたままなのか。テーブルがない今の聖堂は、残念ながらオリジナルの姿ではないと、わたしは思っているのです。次回訪ねるときには是非、聞いてみるつもりです。

長いブログ記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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