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2014年9月28日 

2年前に我らがモイケル娘と我ら夫婦3人で訪れたリスボン、見たかった肝心のカルモ修道院が休日で見学不可だったのにひどくがっかりしました。雑誌記事の取材も兼ねて~などと目論んでおりまして^^; この時の旅行計画は全て夫に任せきりで出かけたのですが、やはり行きたいところは自分が事前に調べるべし、と肝に銘じたのでした。

前回は街の中心地であるロシオ広場のある大通りから小高い丘に建つカルモ修道院が見えるので歩いて行ったものの、方向音痴の夫に黙ってついて行ったはいいが、案の定、迷いに迷い。それでも始めは、ま、道草を食ったと思えばいい、意外な発見もあるわいなと思っていたものの、さすが終いにはくたびれてきて、ついついその不満が顔にも出ようというもの(笑)やっと見つけたと思ったら休日でしょ?む~~っとなりましたっけ。

そんなことがありましたから、今回はロシオ広場から少し歩いたところにあるサンタ・ジュスタ・エレベーターに乗って行きました。このエレベーターで上ったところからすぐカルモ修道院へ続く通路があるのです。サンタ・ジュスタ・エレベーターについては2012年に記事にしてありますので、最後に案内いたします。

igreja_carmo
サンタ・ジュスタ・エレベーター

7月はツーリストシーズンです、切符売り場では人の列ができてしばらく待たなければなりませんでした。リフトも満員だったため、内部の撮影ができなかったのが残念。エレベーター横のある狭い螺旋階段を上って展望台へ。

igreja_carmo
旧市街の赤レンガの屋根屋根の彼方にはテージュ川が望まれます。

igreja_carmo

エレベーターからカルモ修道院へと続く通路から見えるカルモ教会↑と教会入り口↓

igreja_carmo

上の画像は2012年撮影です。ここで入場券を買います。ポルトガルは65歳以上は電車もそうですが、ツーリストスポットの入場券も割引になります。わたしの2歳下の妹を除いて今回の我ら3人はそれにあやかり^^;利用しましたが、義弟とわたしはどこへ行っても「65だなんてウソでしょ。」と、しつこく身分証明を迫られましたが、このカルモ教会では先立って「身分証明書を見せましょうか?」と言うと、「いいよいいよ。日本人はみんな若く見えるんだ。」との返答(笑) それほどここを訪れる日本人ツーリストが多いと言うことです。

igreja_carmo

カルモ修道院の一部、教会はすっぽり天井が抜けて真っ青な空が見えました。  
1755年11月1日のリスボン大地震はマグネチュード8.5から9度、リスボン南のサン・ヴィセント岬の西南西200キロの大西洋海底が震源と推定されています。この時の死者は津波も合わせて10000とも90000とも言われていますが、多くの宮殿を含む建物の85パーセントは破壊されリスボンは壊滅しました。後にリスボンは大々的に新都市計画が始まるのですが、カルモ教会は大地震の記憶を後の世に伝えようとそのまま残されたのです。

igreja_carmo

現在、屋根のない部分には古い展示物が置かれている。

igreja_carmo
上部の山の形と三つの八ぼう星はカルモ修道院会のシンボル。(星はペンタゴン、六ぼう星の場合もある)

D.Francisco de Faria (ドン・フランシスコ・デ・ファリア)16世紀の墓石とあるマヌエル建築様式。
igreja_carmo

D.Francisco de Fariaとは何者かと調べているものの、ヒットせず。16世紀というのとこの像の衣服からして恐らくキリスト教騎士団かと推測するも不明。気になるのは足元に伏せられている像です。

igreja_carmo

髪型からして修道院僧と思われる像が二つの馬蹄のようなものを手に持っているのは何を意味するのか?騎士団、16世紀、僧侶との対立、と色々調べてみたものの、今のところD.Francisco de Fariaの名前自体が二日かけたものの見つかりません。

突き当たり正面はかつての教会のアプス(教会内部のつきあたり、半円形に窪んだ一番奥の部分)でしたが、現在は博物館になっています。

igreja_carmo

入って正面に見えるのはフェルナンド王(14世紀)の墓石。

igreja_carmo

下はポルトガルの歴史教科書で必ず見られる、ポルトガルのレコンキスタ(国土奪回)初代王、ドン・アフォンソ・エンリケスの胸像。(12世紀)

igreja_carmo

igreja_carmo
ふむ。これはメリュジヌと呼ばれるフランスはポアチエ地方の町リュジニャンに伝わる半身半漁、もしくは反蛇の二つの尾を持った伝説の異端の美しい女性のことです。スターバックスのロゴにも使われていますし、メリュジーヌの子孫と言われるギー・ド・リュジニャンは後の世で十字軍騎士となり、イスラム教徒から奪回したキリスト教エルサレム国王になるのですが・・・

こんなところでメリュジーヌにお目にかかるとは。カトリックの国だったとは言え、異端のシンボルをたくさん目にするポルトガルの歴史は本当に面白い。

igreja_carmo
真ん中にテンプル騎士団、もしくは十字軍のシンボルマークと八芒星が見られる石。

↓最後はコンスタンサ王妃の墓石。

igreja_carmo

16歳でポルトガルのペドロ王子に嫁ぎ25歳で生涯を終えました。ポルトガルの歴史では、ペドロ王子(後のペドロ1世王)とこのコンスタンス姫、そして姫の侍女イネスとの三角関係はよく知られています。下記で案内していますので是非、読んでいただきたいです^^

今日は関連するリンクのオンパレードですが、読んでいただけたら嬉しいです。

悲恋の王妃と王」(1)お勧め!
悲恋の王妃と王」(2) お勧め!          
アルコバッサ・ペドロとイネスの石棺お勧め! 
1755年・リスボンの大地震
サン・ヴィセント最西南端」 
リスボン、サンタジュスタ・エレベーター
スターバックスのロゴ お勧め!

それではみなさま、本日はこれにて。
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2014年9月18日 

mosteiro_jeronimo

わたしは、歴史を知らずして観光に行くのはもったいないと思う性質なもので、ブログの案内がついついクドくなりがちです。今回もそのパターンを外れることなく参りますので、ご勘弁のほどを。

ジェロニモス修道院を最初に訪れたのは、30年以上も昔になります。今は亡き我が母をともなって家族で行きました。当時はパリー成田間が17、8時間もかかり、そこから更にポルトへ飛ぶわけですから、その長旅は30代のわたしでもかなりきつかったものです。翌年には70になろうかと言う母、旅程を考えると何かあったらどうしようかとの思いが強かったのですが、どしても娘のわたしが住む国を一目見たいというので、一緒に連れて来ました。

当時の母の年代で一般人がヨーロッパへ出かけることは稀だったと思います。よくぞまぁ、はるばる来てくれたものだと、ジェロニモス修道院を見ると母のことが思い出されるのです。そのジェロニモス修道院へ今夏は、妹夫婦と行ってきましたが、リスボン市内の他の観光もしていたものでジェロニモス修道院は最後になり、修道院内部の既に見学時間に間に合わず教会のみを見るに留まりました。

mosteiros-dos-jeronimos1.jpg
大きなジェロニモス修道院の全容は我がデジカメには納まらず。写真はWikipedia からです。

ジェロニモス修道院の正式名はサンタマリア・ド・べレン修道院です。
ここには15世紀の半ばに既にキリスト教騎士団団長のエンリケ航海王子がジェロニモス教団のために建てた教会がありましたが、ローマ法王の許可を得て、大航海時代の巨万の富を元に莫大な費用をかけて、「幸運の王」との別称を持つ、ドマヌエル1世が大きく完成させました。1502年に建築が始まり完成には100年の年月を費やしたといわれます。

俗に「ジェロニモス修道院」と呼ばれるのは、ドン・マヌエル一世が、王の永遠の魂と世界の大発見の航海に出る船乗りたちに精神的な援助を与えるために祈ることを条件として、ジェロニモス教団を住まわせることにしたからです。この約束はポルトガル王国が崩壊する1833年まで400年もの間続けられました。

さて、写真はテージュ側に面した南門、サンタ・マリア教会の入り口です。
mosteiro_jeronimo

これから、ジェロニモスとは、そしてわたしがここで発見したことを書いてみたいと思います。

ジェロニモと聞けば、わたしなどは「アメリカインディアンの戦士ジェロニモ」、「ジェロニモ太郎」が先ず浮かんでくるのですが、皆さんは知らないか(笑)
「ジェロニモ太郎」はわたしの記憶では、テレビがなかった我が子供時代のラジオドラマのひとつだったと思います^^;アメリカへ渡り西部を冒険する日本少年の話で、頭のどこかに未だ、

「♪馬にまたがり 縦横無人 強く正しくたくましく 正義の人とうたわれん。 その名を呼んでジェロニモたろ~ あ~あ、テキサス快男児~♪」

ちゅう、テーマソングが残っているのです(笑)

今回、画像を拡大するまで、なんか不思議な名前だなぁくらいに実は思っていたのです。
さて、南門、二つの門の間に立つ像はエンリケ航海王子ですが、その上部画像を拡大して、あれ?と思ったのは、ライオンとともにいる人物像、
mosteiro_jeronimo

更に拡大してみましょう。
mosteiro_jeronimo

あらま、これは「荒野の聖人ヒエロニムス」ではありませんか。ヒエロニムスと分かるのは側にライオンが見られるからです。(←1の部分 )ヒエロニムスは4世紀 の神学研究者であり、シリアの砂漠で隠遁生活をしながらヘブライ語を学び、聖書をラテン語に翻訳します。中世から現在まで、彼のラテン語訳聖書はカトリック界のスタンダードになっており、後に聖人、もしくは教父とされます。

ヒエロニムス像にいつもライオンが描かれるのは、彼の前に現われたライオンの前足に刺さっていた棘を抜いてあげ、以来ライオンはヒエロニムスの側にはべるようになったという伝説から来ます。
jeronimos9.jpg

ヒエロニムスが描かれる絵のもうひとつの特徴は、赤い衣と赤い帽子です。

そこで、今回、インディアン・ジェロニモとこのジェロニモスとの関連があるか否かは置いときまして、そんなことを思い出しクックッと笑いを嚙みしめながらポルトガル語のJeronimosを引いてみると、正にヒエロニムスのポルトガル語でした!

そして、ジェロニモス像にある帽子(2→の部分)と上の絵の帽子、これを見て、あっ!と思い出したのがこれ!

mesquita17

2010年にコルドバのメスキータ内で見た「不思議~」と思っていたシンボルが今はっきり解明したのであります。ヒエロニムスの独特なデザインの帽子は枢機卿の帽子とのこと。

コルドバの不思議記事はこちら→「メスキータで見つけた面白いもの

なるほどなるほど。この紋章が果たして誰のものかは分かりませんが枢機卿の帽子ねぇ。それを、「ばいきんまんUFO」と比べるなんて、トホホホ^^;

というわけで、ジェロニモス修道院はヒエロニムス修道院、荒野の聖人ヒエロニムスとの関連が判明し、すっきりしたところです。

ジェロニモス修道院に彫られた絵から、このような展開になった本日の記事でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

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2012年5月18日 リスボン:サンタ・ジュスタ・エレベーター

リスボン最後の記事です。

迷うべくもないはずのカルモ教会にやっとたどり着いたものの、日曜日は休
館日で見学不可でした。そこで、教会の横道を進んで行ったところが、なん
とこれも知らなかった迂闊、そこが有名なリスボンのショッピング通りにあ
る「サンタ・ジュスタ・エレベーター」に直結でした。
    
Elevador_of_Santa_Justa_platform.jpg
上の写真のみWikiより。

エレベーターの扉
リスボン

これまで何度か訪れたリスボン。その都度このショッピング通りを歩いては
横目で見てきたサンタ・ジュスタ・エレベーター(Elevador de Santa Justa)、
別名Elevador de Carmo(カルモ・リフト)とも呼ばれます

ポルトもそうなのですが、リスボンも坂道が多くカルモ教会周辺へ行くには
上り坂です。このリフトを利用すると楽に行けるというわけです。リフトの
高さは45m。カルモ周辺の丘とダウンタウンとの落差が以下に大きいかが
これで分かります。
リスボン

1898年に着工、完成は1902年、ネオゴチックスタイルのこのリフト
はフランス建築アエッフェルの弟子だったと言われるポルト出身のフランス
系、ラウル・ポンサルド。道理で鉄骨の構造をむき出した様は、エッフェル
の作風をかもし出しているはずです。

リフトのトップから下をのぞいてみた。
リスボン
高所恐怖症気味のわたしには、こわぁ~、です。

リスボン
向こうに見えるはサン・ジョルジュ城。ポルト同様、段々畑のような家並み。
リスボン滞在は3時間弱、わたしたちはこのリフトを利用することなく、下
り坂を下りて、この後シントラへと向かったのであります。

シントラ、わたしにとっては3度目、モイケル娘は初めてで、今回は親子し
て新たなシンボルを探し回ったのでした。

再び歴史のシンボルの謎を求めて、乞う、次回!
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年5月2日 

さて、目的地カルモ教会へいざ、と言う段になり、我がモイケル娘がトイレ
だと言う。そこで、駅構内ならばあろうと思って最初に入ったのがロシオ
駅。前回紹介のスタバはこの入り口すぐ右にある。
rossio1_1.jpg

しかし、トイレは見つからず、カフェに入れば用は足せたのだが、市内に入
る前昼食とともにカフェを飲んでおり、できれば入らずにと小雨降るロシオ
界隈をトイレ求めてあちこち歩き回る羽目にあいなった。
が、結局下の画像にある「Pasteraria Suica」(スイス菓子店)こと別名カ
フェ・スイサに。
pastelaria_suica.jpg

連れなんとかと申し(笑)、3人とも無事用をすませて気持ちも落ち着き、
丘の上のカルモ教会を目指していざ!

Rua de Carmoの坂道を上ってすぐに目に入ったのがなんと、

muji1_1.jpg
「無印良品」リスボン店。さすがポルトガル首都!思わずちょっと寄り道し
ました。シンプルですが紅白の色がよく目立つロゴマークです。
mujirushi1_1.jpg
店員に聞いてみると開店1年と4ヶ月なのだそうです。

坂道を上る右手には1907年にオープンしたカフェ「A Brasileira」が。
ポルトに美しい老舗のカフェがありますが、リスボンもまた然り。
cafebrasileira2_1.jpg
 
店先には20世紀初期のポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアが座っています。
fernandopessoa_1.jpg

ポルトガルの書店、みやげ物店なのでも彼の似顔絵がよく見られるほどに、
今でも人気がある詩人です。

今回フェルナンド・ペソアを検索して面白いことに出会いました。彼は詩人の
みならず作家、翻訳家でもあり、エドガー・アラン・ポーの訳詩もしていたとのこと。
かなり以前にブログで取り上げた松本清張の本につながるのでした。

以下、2006年の日記からの抜粋です。

―とどろく海辺の妻の墓―

高校時代には、苦手な理数系の勉強はほったらかしに、フランス文学、ロシ
ア文学、ドイツ文学の著名なものを図書館から借り出し、外国文学の起承転
結の明確なところに、わたしは心を躍らし片っ端から本を読みふけったもの
ですが、どういうわけか、日本文学にはほとんど手を出した覚えがない。

ところが、20歳頃に、グワッとのめりこんだのに、松本清張シリーズがあり
ます。「黒い画集」から始まり、清張の作品のかなりを読破しました。
「社会派推理小説」と当時呼ばれた清張の作品は、大人の匂いがプンプンし
て、20歳のわたしには大きな刺激でした。世の中の理不尽や犯罪に駆り立
てられる人の心理を、こっそり覗いたような不思議な刺激でした。 

それらの中でも特に心に残ったのは、霧の旗、砂の器、ゼロの焦点です。
つい先ごろ、この「ゼロの焦点」をもう一度読み返す機会があり、思い出し
たのです。20歳の頃、気になりながら、当時は調べようもなかった詩の
1節がその本の中にあったことを。

In her tomb by the sounding sea.

とどろく海辺の妻(彼女)の墓・・・
戦後の自分の職業を隠さんがため、今では上流社会夫人になっている妻が犯
罪を犯し、冬の日本海の荒れた海にひとり小船を出して沖へ沖へと漕いでい
く愛する妻の姿をなす術もなくじっと見送る夫の姿を描くラストシーンに出
てくる英詩です。

当時、この詩がいったい誰によって書かれたものなのか分からないまま長い
年月の記憶の彼方に押しやられていたのでした。今回読み終わりgoogleで検
索してみよう!とハッと思いついた。英文でそのままキーワードとして打ち
込みました。

おお!出た!出たではないか!一編の詩に行き着きました。
この詩は、「Annabel Lee=アナベル・リー」と題されるエドガー・アラン・
ポーの最後の作品なのでした。(詩全部をお読みになりたい方はWikipedia
でアナベル・リーと検索すると出てきます)

詩、「アナベル・リー」は、14歳でポーと結婚し、24歳で亡くなった妻、
ヴァージニアへの愛を謳ったものだそうで、ポー最後の詩だとされています。

「とどろく海辺の妻の墓」は、その詩の最後の1節です。エドガー・アラン・
ポーといいますと、わたしなどは、「アッシャー家の滅亡」の幽鬼推理小説
家としての一面しか知らず、詩人でもあったとは。

Wikipediaで検索しますと、ポーの大まかな半生が書かれていますが、残した
作品にたがわないような激しい愛の一生を終えた人です。

40年近くも経ってようやく、「ゼロの焦点」のラストシーンと、このポーの人生の
結晶である「アナベル・リー」の詩がつながったのでした。

う~ん、これは清張ばりで行くと「点と線」が繋がったとでも言えるかしら。


リスボンの詩人フェルナンド・ペソアとこんなところでつながるとは奇遇な
ことです。

肝心のカルモ教会には簡単にたどり着きそうもなく申し訳ない。
リスボンの続きは次回に。
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2012年4月30日 

モイケル娘、先週火曜日に4年ぶりの帰国で、我が家は今、ポッと花が咲い
たような明るさです。子供がいる生活は会話にも思わず笑いが入ってはずみ
ます。

starbucks

夫も嬉しさを隠しきれず、口笛自慢のわたしからすれば「ヘタクソ~」の一
言につきる口笛を毎日のように吹いている(笑) そして娘のためにと夫が
立てたあれやこれやのプランが、本当を言うときついんであります。なぜっ
て、わたしは今週土曜日にはボランティアの影絵上映があり、それがまだ
完了してないんだってば・・・

しかし、影絵同様、モイケル娘の滞在も3週間と期限があり、このところ色
々がんばっているおっかさんではあります。

さて、そのプランのひとつ、3人家族に一泊旅行を日月の昨日今日して参り
ました。行き先はリスボンとシントラ。シントラは何度か訪れていますが
訪れるたびにその魅力に取り込まれそうな不思議な町なのです。シントラ
の話は後でするといたしました、今回はリスボンから。

3年前まで我が東京息子が10年ほど住んでいたリスボン、息子の様子を見
に時々訪れましたが、共に食事をしてはすぐ引き返すという繰り返し。観光
らしきものをほとんどしたことがなく、訪問回数は多いのに街のことはほと
んど知らない。そこで今回は目的地を定め、初めてポルトガルの首都、リス
ボンを歩いてみたのでした。

目的地とは「Convento de Carmo」。1755年のリスボン大地震で破壊さ
れ天井が抜けたまま、今日にいたっているカルモ教会です。リスボンの中心
リベルダーデ大通りから見えるのですが、ここに至るまでを綴ってみたいと
思うのであります。

carmo1-1.jpg

いやはや、ほんとにもう、すったもんだがありまして。くっくっくっく。

本日は夜も更けたことでありますし、さわりの部分にて。

carmo

エスプレッソファンが俄然多いポルトガルで、奮戦しているただ一軒のスタ
ーバックスことスタバ。ロシオ駅の入り口にあります。しかし店内は満席で
した。ツーリストが主だったかもしれませんね。
下はご存知スタバのロゴマーク。

starbucks

このロゴマークについては3年ほど前に取り上げていますが、今日はその記
事をご案内しまして、ごまかしでございます。

スターバックスの気になるロゴマーク

では、本日はこれにて。皆様、また明日!
ん?エントリータイトル「リスボンZaraZara」とはなんぞや?
はい、これは後ほど、謎解きを
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