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2015年5月19日

3週間の日本滞在を終え、日曜日にポルトに帰ってきました。
昨日からJet Lagこと、時差ぼけと闘っているのですが、時差による睡魔の波浪に誘われ誘われ。おぬし、年々手ごわくなってきてるのぉ、と恨み言ほひとつも言いたくなります。寄る年波にはさすがのわたしもお手上げであります。

日本語授業も明日には開催、早朝に目が覚めてしまい、その時間を授業準備にして、本日は今から、食料買出しです。
なにしろ、わたしが持ち込んだ日本食を除いては、冷蔵庫が空っぽ状態。というので、日本滞在記はもう少し気が落ち着いてからにいたし、アリゾナ留学記の手続きを載せたいと思います。

ここからアリゾナ留学記

そこつ者のわたしと違って、どんなときにも慌てふためくことなく悠長。いつも笑顔が絶えない(←ここはわたしと一緒^^)
関西のええとこのぼんぼんであるザワちゃん。この御仁、実は「あの頃ビアハウス」の「グッドチーフ、バッドチーフ」で既に
登場しております↓ 
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関西のとある大学の英文科を出ていて、当時独学で英語を勉強していたわたしとは、しょっちゅう、
    「ザワちゃん、ホンマに英文科出たんか~。ここもこれも違ってるやん。」
    「キツイなぁ、ソデさん」
    「教えてあげてるんやもん、ありがたいと思い~。」
とこういう具合で周囲を笑わしていた仲ではあった。

それが、こんなアリゾナくんだりで再び顔をあわせ、同じ学窓で学ぶことになろうとは、夢にも思わなんだ。長年夢見たアメリカに学びに来たわたしだ。ザワちゃんであろうと、日本人同士つるんで時間を無駄にはすまい、そうでなければ一体なんのための語学留学になるのか、と同国人同士つるまないことを決心した。

翌日のクラス編成発表では、わたしたちは別々になっており、ザワちゃんは大学寮の仲間を、わたしはシェアハウスの仲間を中心の、それぞれの生活が始まり、しばらく時間をともにすることはなかった。そ、しばらくは・・・わたしがNorth 2nd Ave. 927の家を出るまでは・・・

後日談になるが、わたしが人生の一大決心をして、渡米した夢見たアメリカ、ツーソンなのだが、のっぴきならぬ事情でコース終了後には、大阪へと帰国したその日、伊丹空港で我が親友みちべぇとグッドチーフが迎えに来てくれた。
そのときに聞いた話なのだが、(空港から思い荷物をズルズル引きずって、そのままアサヒビアハウスへと直行したわたしたちではあった(爆)
「おい、お前がザワちゃんをかどわかして、アメリカくんだりまで引っ張って行ったという噂だぞ。」
「お前の後を追っかけて行ったという噂もあるで~」

ご、ご冗談でしょ。なんでやのよん^^;本人の預かり知らぬことやで(泣)

更にもうひとつ、後日談を語らせてもらえば、
このザワちゃん、わたしと夫が、京都は伏見区役所へ婚姻届を出しに行った際に、我が親友と共に、証人の一人として同行した人なのであります。

わたしがポ国に渡って何年か後帰国した折に、かつてのオフィス仲間がアサヒ・ビアハウスで歓迎会を開いてくれたことがあるのだが、その時会った彼は、異国の女性と結婚しており、ファーストフード店の経営者になっていた。

時折、わたしはあの若かりし日のザワちゃんを思うことがある。
「わたしの後を追っかけて行ったと言うあの噂はホンマやったん?」

今ではもう聞くよしもない、遠い昔の人生のあどけないひとコマである。

次回エピソードに続く
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2015年5月22日

クラス分けも決まりESLコースの初日の授業は緊張の「Audio-Lingual」である。読み、読解、質問の受け答えです。

教室に入るなり驚いた。生徒用の机が黒板向きにズラリと並んでいるのは、どこでも同じだが、それぞれの机には目隠し用に前左右と仕切りがあり、ヘッドフォン、マイクが取り付けられていました。今ではどうということのない光景でしょうが、今から36、7年も昔のことで、わたしにとって始めて目にする設備でした。
正面にある講師の机に仕切りはないので、生徒からは講師が見えるのである。生徒たちはヘッドフォンを通して講師の声を聞く。
使用するテキストには、とある、架空の国が設定されており、その国の政治、経済、地理、文化等を学ぶ様式になっていて、興味深いテキストだった。
このクラスで印象に残ったのは、生徒の緊張感をほぐそうとしてか、授業のしょっぱなに、毎回必ず講師がPop musicを流してくれることである。これはかなり嬉しかった。様々な国から語学研修に留学してきている生徒たちにとって、Pop musicは世界共通の言語とも言えよう。わたしのみならず、他の生徒たちもこれである程度気分的にリラックスできたのは間違いない。
講師はMr.Jensen。 30代前半と思われ、アメリカ人にしては小柄であったが、なかなかのイケメンではありました。一度わたしは、授業も終わって彼が後片付けしているところへ行き、
「朝の音楽、リクエスト可能ですか?」
「Yes, you may」
そうして、翌日ヘッドフォンを通して流れて来た音楽は、わたしがリクエストしたものでした。
「クラスのyukoのリクエストです」と前置きして、わたしがAudioクラスにいる間、この曲を何度も流してくれたのでした^^
 
何の曲かって言うと、キャッツ・スティーブンスの「Morning has broken」。
大阪にいた時分からテレビこそ持たなかったが、音質のいいステレオには目がなく、新しいLPレコードを購入するのが楽しみのひとつだったかな?そのたくさんのLPがある中で、たった一枚選んで、アメリカ行きの旅行カバンに入れたのは、ジョルジュ・ムスタキでしたが、キャッツ・スティーブンスも、この歌を始め、「Peace Train」 「Father and Son」, 「Oh Very Young」など、あの頃とても好きな歌でした。

arizona
アリゾナ大学のキャンパスにて。どこまでも続く澄んだツーソンの青い空。

この歌をわたしはもう一度、今度はポルトガルで耳にするのでありました。

我がモイケル娘がOporto British Schoolの小学部に入っていた頃です。いつものように、午後3時半の授業が終わる時間に合わせて車で迎えに行き、その帰りに彼女が突然「今日学校で習ったよ」と車の中で歌いだしたのです。
    
     ♪Morning has broken like the first morning
      Blackbird has spoken like the first bird      
      Praise for the singing, praise for the morning
      Praise for the springing fresh from the Word

おお!それは母が好きな歌であるぞ、と勿論はしゃいだわけだが、「キャッツ・スティーブンスの歌を教えるなど、学校もなかなか進んでるではないの^^」と思いましたら、この歌はイギリスの古いフォークソングで、賛美歌444番にあるのだそうです。
    
    世のはじめさながらに 朝日照り 鳥歌う 
    讃えよ 新しき歌を 讃えよ 新しき朝を

とでも訳せるのでしょうか。

歌ひとつとの出会いをとってしても、こうして世の中のことは連鎖になってるのだなぁ、と、思わされたものでした。
下記、Youtubeより拝借。


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2015年5月26日

これには参った!
たいがいのことでは、そう簡単に音を上げるわたしではありません。が、クラス編成前のテスト成績が運悪く良かったのか(^^;)、Reading Comprehension(読解力)はとてつもなく難しいクラスに入れられた・・・これは、文法が得意な日本人によくありがちなことのようです。クラスでは長文を読んで質問に答えていくのだが、語彙力不足でチンプンカンプン、トホホでありました。クラスで日本人はわたしがただ一人です。周囲の様子をそぉ~っと目で探って見ると、みな平然とした顔であります。

前もって予習できるテキストを使う分にはなんとかできる。しかし、突発的にクラスで配られるそのReadingテキスト、クラスでパァ~ッと読んですぐ答えろなんて、あぁた、きついよ、そりゃ。この手の授業形態はまさに実力を試すもの。もう泣きたい思いです。

前もって予習できるテキストも10ページやそこらではありまへん。ぎっしり言葉がつまったページが30、40ページとあり、未知の単語を一語一語拾い上げて、辞書と首っぴきでしても、他の科目の宿題もあり、一晩かかってもしきれない・・・
10日ほどねばってみたけど、ダメダこりゃ。歯がたたないや。思い余って授業終了後のある日、クラス担当のMrs. Chisholmに掛け合いに行きました。

「レベル、間違ってますよ。とてもこのクラスでみんなとやっていく能力ありません。」
と、音を上げるわたしを先生はじっと見つめてきます。少し間を置いて返ってきた彼女の返答は、
「後2週間がんばってひっついて来なさい。」

あと2週間も、このクラスで悶々としてダンマリなんて、止めてくれ~。こんな心の叫びも素知らぬ顔のMrs.Chisholm、そう言い残してサッサと行ってしまわれた。更に2週間ほどたった金曜日、「月曜日はテストをします。この本を読んでらっしゃい。」と仰せられる。よ、読んでらっしゃいって、あぁた、一冊の分厚い本じゃないですか・・・

手渡されたのは、スタインベックの「Travel with Charlie」でありました。1960年代の「アメリカを探して」と副題がつく、スタインベックのロードトリップもので、愛犬のプードル、チャーリーとともに、ドン・キホーテの馬に因んで「ロシナンテ」と著者が名づけたキャンピングカーで、ニューヨークから西海岸カリフォルニア、スタインベックの故郷であるサリナスに辿りつき、再び大陸を横切ってニューヨークへ帰る1万マイル(16000キロ)の旅を綴ったものです。

クラスで既に音を上げがちなわたしである。いかにして週末明けのテストに臨むことができるのか、おそろしや・・・。

Tucson
週末のレクレーションに参加し、こんな写真を撮ってもらえるようになったのは、3ヶ月も経った頃ではある。

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2015年6月3日

クラス全員に手渡された一冊の分厚い本、「Travel with Charlie」にわたしは呆然とした。

本の内容を知るためには、たとえ牛歩の歩みのごとくであっても、辞書を片手に読んでいくしかないで。
金曜日、週末の誘いの声もうわの空、帰宅して読書にすぐにとりかかった。そして知った己の語彙力のなさ。誠に牛歩の歩みなのだ。それでも投げ出すことはできなかった。

こんな状態ででどうやってテストに臨めるか。考えました。
そしてわたしがしたことは、もう単語はいい!分からなくてもとにかく最後まで通しで一度読破すること、これで行こう!

するとです、分からない部分が殆どなものでドンドン飛ばして、一回目は辞書なくして意外とスムーズに終わった(これがスムーズと言えるのか。笑)

うむ。しょっちゅう出てくる単語があるぞ。これ、気になるから、調べてみよう。2度目はそういう単語のみ辞書をひき、他は分からないままにして読み進んでいくのであります。最後は、辞書なしで初めと同じように3度目を読み終えた日曜日の夜、「ふむ。要は、スタインベックがチャーリーと言う名の犬を連れて、トレーラー車でアメリカ中を旅して、行き先々でいろんな人に出会い、その体験をああだらこうだらと書いているのだな。」と、なぁんとなく分かった気がしてきた。(笑)いい加減なものです。

こうして臨んだ月曜日のテスト、これが思いの他、良い結果が出たでした。Mrs.chisholmから採点された答案用紙を手渡されたときの、あの一言。「Excellent」 うひょひょひょひょ^^ 実に爽快でありました。「おバカ。週末くらいリラックスしなよ」の友の言葉に背を向け、それを返上して勉強した甲斐があったというものだ。

以後わたしはこのやり方で、テキストを読みこなしていきます。そして、この「Excellent」の結果に気をよくして、Mrs.Chisholmのクラスに留まるのでした。ESLのコースが終わる半年後、わたしがもらったReading Comprehensionの評価はAでありました^^ えへん。

ない頭も、必死に考えをめぐらして方法を編み出せば、突破口はできる。わたしの例がそれです。それにしても立派なのは、わたしの弱音を安易には受け入れず、冷たい素振りでチャレンジを促したMrs.Chisholmです。彼女はアメリカインデアンとアメリカ白人の血をひいていると聞きました。

上でエヘンと威張ってみたものの、この評価「A」は、「実質は伴わないけれども、努力」の部分が多分に含まれている、額面どおりではあるまいと、わたしは自覚している。
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2015年6月13日

エッセイのタイトルに「ツーソン留学記」と堂々と掲げているものの、あつかましい(笑)

後にその訳を明かすのですが、移住するつもりで渡ったアメリカ大陸でしたが、志を翻し、実は半年で日本へと、とって返したわたしでありました^^; しかし、このわずか半年のアリゾナ生活は、その後のわたしの人生の指針になり、方向づけしてくれたような気がします。

たいしてお金は持っていなかったので、帰国すると決めた後も、思い出の品物は皆目買いませんでした。「これが若き日に訪れたアメリカの記念品だぜ。」と、だから、しみじみと手に取って眺めるものはほとんど皆無。あるのはこれのみです。

bracelet.jpg
ツーソン周辺にはインディアン保護地区がある。シンプルなインディアンアート細工が施された銀のバングル。奮発して4つ手に入れたが、ひとつはモイケル娘が今は保持する。

アリゾナの思い出は、茫洋とした記憶のなかで漂っては、時折ひょこっり姿を現す。その時に決まって脳裏で流れてくるBGMが、トム・ウエイツの「Waltzing Matilda」であり、「 I wish I was in New Orleans」だ。

ハウス・シェア仲間の一人、ジョンはエピソード②でも、ちょこっと言及したツーソンのカレッジの歴史講師です。夜間授業をしており、日中はというと、いつの日か自分の歴史本を出版したいと原稿を書いているだった。

8時半からの大学のESL授業を終えて帰宅する午後、927番地のドアをあけると、直ぐがリビングルーム、それに続くダイニングホール、そして、その向こうにある裏庭に面した縁側のような小さな細長いスペースがジョンのお気に入りの場所だ。タバコをくわえ、アンダーウッド・タイプライターを打っている。ノミ市ででも買ってきたような、旧式のステレオに載せられ、家中いっぱいに流れているLPレコードのトム・ウエイツ。ジョンがいつも聞いていた音楽だ。
arizona6.jpg
このドアの向こうに・・・

   ♪あぁ、ニューオリンズにいたらなぁ
    夢に見えるようだぜ
    みんなと腕組み合って
    バーガンディーのびん持ち 酒盛りをする・・・(spacesis勝手訳)

この歌とアンダーウッド・タイプライターを打つパチパチとした音は不思議に融合し、夕闇が迫りランプシェードの薄明かりの中に浮かび上がる、痩せた背中を少し丸め、前のめりになったジョンの姿は、まるで一枚のシルエットのように、今でもわたしの心に残っている。

ジョンに誘われて、わたしは一度彼の夜間の歴史講義を聞きに、カレッジへ行ったことがある。(←偉そうに書いてるが、なにを隠そう、内容は皆目分からなかったのだ^^;) それはアダルト・スクールと言われる、アメリカ特有の夜間学校コースの一環で、様々な職種の人が、居眠りもせず講義を真剣に聞いていた。

今でこそ、日本でも一部の大学の門戸が一般社会人に開かれ始めているが、これは35年も前の話で、授業料も日本のそれとは比べられないほど安く、多くの人が受講できるようになっていた。アメリカの教育制度の豊かを当時のわたしは感じずにいられなかった。やる気のある者には、チャンスのドアが開かれる。そのドアを押すか押さないかは自分次第である。少なくともあの頃のアメリカはそんな風に思われた。

その時、初めて「あぁ、アメリカに来たのだ。」と震う思いに襲われたのだった。

トム・ウエイツ「ニューオーリンズに帰りてぇ」。トムのダミ声はご勘弁。しかし、聞きなれるとすごくいい感じが出てるように思われてくる不思議な魅力があります。


本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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