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2018年4月13日 本「夜間中学校の青春」

今週は忙しかった!8月の雑誌原稿の締め切りが5月なのですが、ポルトに帰ってくる時期とその締め切り日がほぼ重なり、とてもじゃないが時差ボケで書けそうもござんせん。そこで、一ヶ月繰り上げて送ろうというので、やっと本日仕上げて雑誌社に写真ともども送ったところです。

図書館での明日の日本語クラスには一ヶ月休暇中の宿題を用意し、今日の午後はせっせと旅行トランクに放り込んである物を、本当に必要か否か再確認しました。見ると三分の2はお土産なり(笑)

さて、毎回帰国の時には機内や乗り継ぎの待ち時間をやり過ごすのに本をもって行きます。それで書棚から今回選んだのが新渡戸稲造の「武士道」と「夜間中学校の青春」です。二冊目の「夜間中学校の青春」は読むのが二度目になりますが、とても考えさせられた本です。以前にも紹介しましたが、もう一度書かせてください。

夜間中学の青春

夜間中学校で42年間教えた見城慶和さんという先生が写真家の小林チヒロさんという方と2002年に出した、夜間中学で学ぶ人たちの写真がふんだんに盛り込まれています。

初めはそれと知らずに手に取った本ですが、表紙の写真にあるように、映画監督の山田洋次氏もこの本を推薦しており、山田氏はこの夜間中学の見城先生をモデルに映画「学校」「学校Ⅱ」を作っています。映画も2本ともわたしは見ています。

本のエピローグで目に入った、夜間中学生の卒業作文の一行に、わたしは思わず胸が熱くなってしまいました。

「学校をそつぎょうしたら、私はまた、ひとりぼっちで、夜ふとんの中で泣いて暮らしていくのです。」

この一行の文に、これを書いた生徒の学校に対する思いが溢れているようで、わたしは胸も眼も熱くなってしまったのでした。

夜間学生と言うと、わたしのこれまでの人生では、拙ブログ左のカテゴリ欄に「思い出のオルゴール」という、昭和時代のわたしの思い出を綴ったエッセイがあるのですが、その中のエピソード「津国ビル純情1」に登場してくる夜間高校生の一宮君と、「1964夏・江東区の夕日」エピソードで少し語られる新聞専売店住み込みの夜間大学生たちが思い出されます。

進学率も高くなり、少子化で大学全員入学も言われる現在ですが、わたしの時代はようやく団塊世代の進学率が上がってきたとは言うものの、高校や大学へ行けなかった人も結構いた頃で、わたしも経済的理由で大学進学を諦めた一人でした(上述、「1964夏・江東区の夕日」で書いてます)。

それでも、全日制高校に三年間なんとか通うことができたのには、学校にも親にも感謝しています。そういうわたしの思いも重なって、この夜間中学生の写真記録の本にはいたく惹かれました。

この本の読後も、映画「学校」鑑賞後にも思ったことですが、いったい「学校」とは何なのか、わたしたちが学校で学ぶことは何なのか、それらはわたしたちの人生にどう反映していくのか。わたしは、近年やっと自分なりにその答えが少し見えたと思います。

国語も算数も数学も歴史もサイエンスも全ては得点教科ではなく、また単なる学力養成が目的になるのではなく、人生の荒波に航海した時、わたしたちが自分自身の思考力で乗り越えて生きて行くための礎になるもののはずです。

学力とは点数でなく、生きる学力なのだと気付いたのです。そういう教育には時間と手間がかかり、○×式の教育では養えないように思います。

教育も親子関係も友人関係も希薄になったように思われる現代社会に住むわたしたちに、人間原点の礎になる学校教育、家庭教育のあり方をもう一度よく考えてみる必要があるとこの本は訴えてきます。

わたしの好きな星野富弘さんの詩の中に、「きく」の絵とともにこういうのがあります。

喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が 
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも 
弱いものが集まった方が 
真実に近いような気がする

幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする

この詩は、映画「学校」(もう一度見てみたw)と「夜間中学校の青春」に、とてもよく似てるなぁ、と思ったのでした。

世の中が便利になったというのに、文明の利器に振り回されて、物事をよく考える時間ができたどころか、却って前にも増して多忙な現代生活を送るような結果になっているわたしたちは、かけがえのない、たった一度の人生の時間の大切さを忘れているのだな、と自分自身反省している今日この頃です。
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2018年4月3日 

夕日が沈むのを見るたびに、わたしはなぜだか心に大きな平和を感じます。生きていることの幸せ、k今日も生きたみたいなものでしょうか。

宇宙からすると、塵芥にも満たない小さな小さな、それでいて、今この時を自由に生きているその自分の姿が夕日に反射してチラリと見えるような錯覚に陥るのです。

子供のころから夕日や星空には抗い難い魅力を感じて今に至るのですが、みなさまはいかに?
 
人はわずか7、80年の人生の時間を切り売りして、より豊かな生活を求めようとするのですが、ポルトガルにいると、万人に与えられている自然の織り成す豊かさを忙しさの中で見失っていることが多いように思われます。

食べるためには仕方のないことなのですが、わたしの場合、朝から晩まで継続的に時間が拘束される仕事をしているわけではなく、合間合間に食材買い出しに出かけたり、授業の準備をしたり、趣味の調べ物をしたりも少しできるに拘わらず、近頃の自分の毎日はセワシイ気がするのです。

あと少しもう少し、とある目標に達するまでだと気張っているわけですが、達成後は人様に喜んでもらえるような活動をささやかながらして行きたいと望んでいます。

何の目標かと?うふふのふ。それは達成してからのお楽しみでございます。その暁には拙ブログにて密かに書くつもりです。

さて、そんな状態ですから月曜日から土曜日までずっと続けて日本語を教えていると、仮眠をとっても、なんだか疲れが残っているような無気力感に襲われることがあります。そんな時には、生徒さんには申し訳ないけれど思い切って日本語レッスンをキャンセルし、仕事を頭から追い払って、ベッドにゴロリ横になります。

本棚には、いつか時間ができた日に、ネットで検索しながら読みたいと思って買ってある謎解きの本が数冊あるのですが、その一冊が下のハードカバー「ケルズの書」です。

Kellsbook-1.jpg

オリジナルは8世紀に描かれた聖書の手写本だといわれますが、いわゆる聖書や仏典のように文字の羅列は見られず全ページが豪華なケルト文様の絵図で描かれています。

ベットに潜り込んで読むとはなしにページをめくる。こういう時間はわたしにとって至福のひと時であり、頭をリフレッシュできる必要な時間でもあります。

外は雨、自堕落で豊かなとも言える午後でありました。
よしっと。明日からまたがんばるわよ。

では、みなさま、また。
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2018年3月8日 

夫が帰宅しており、晩ご飯を作っている最中に電話がなった、とある夜、応答した夫が電話を切る前に「Ate ja!(アテ・ジャ)」(すぐ後会うときにつかう挨拶言葉)と言ったもので、「誰か来るの?」と聞くと、「何だか知らんが兄貴が今来るらしい。」

へぇ、珍しい。用件も言わないでこんな晩飯時にくるとは、と思った矢先にビーッとコンドミニアムの玄関ベルが鳴った。

義兄が入るなり、「おい、yuko、君がこの間言っていたポルトガル最初のテンプル騎士団のグランドマスター(総長)がグァルディン・パイス(GualdimPais)だと言うのには異説があるぞ!」と言うではないですか(爆)

「ほれ、ここに色々書いてある。あげるから読みたまえ」と、手渡されたのが下の本。「ポルトガルのテンプル騎士団」とある。

templarop1.jpg

よ、読みたまえって、義兄ちゃん・・・これ、ポルトガル語じゃんか~。つい、この間、貸してくれた物凄く分厚い本だって、全部ポルトガル語だよん^^;義兄ちゃん、わたしがポルトガル語をすらすら読めると勘違いしてるんだわ^^;

regaleira2-1.jpg

↑これが以前に貸してもらった本。シントラ旅行でわたしたちが訪れてきたQuita da Regaliera(レガレイラ荘園)の暴露本(笑)と言いましょうか、つまりシンボルの謎解き本、虎の巻とも言えるもの。わざわざ斜めに写真を撮ったのは、その暑さを見てもらうため(爆)400ページ近くある本です。

貸してくれた時に、この本もあげると言われたものの、書籍が高いポルトガル、誕生日でもクリスマスでもないのに簡単に「は~い、いただいときます」なんて、受け取れません。

それで、ぱらぱらめくってみた結果、「これはわたしの謎追いに使えそうだ」と判断し、この本は義兄ちゃんに返して、同じ本を夫に探し出して買ったのでした。案の定、プライス30ユーロほど(5000円)。
中身は、残念ながら全部ポルトガル語です。当たり前のこと^^;読破するのに、どんだけの時間を要するだろか・・・考えないでおこっとw

テンプル騎士団のミステリーもキンタ・ダ・レガレイラの妖艶摩訶不思議さもわたしの歴史の謎解きに大いに関係ありと推察しハマッているのですが、一般的に知られるフランスのテンプル騎士団話と違い、ポルトガルにいたテンプル騎士団の情報は、ポルトガル語でしか入手できず、その情報をゲットしたいがために、○ソ!と思いながら必死にポルトガル語を読み拾っているわたしです。

夫はこんなわたしの興味に、一応付き合ってくれ、話を聞いてくれたり、それに関係する土地に同行してくれたりはするのだが、読もうともまではしない。が、義兄ちゃんはちょっと面白い。

先日も、自分が図書館で見つけたテンプル騎士団の話を、コピーして届けてくれたりと、わたしの話がきっかけで調べたりしているのではあるが、ひょっとして、わたしよりはまってたりして(爆)

ポルトガルのテンプル騎士団のグランド・マスターですが、記録者によってGuardim Pais を最初とするのと、彼以前のグランドマスターの名前が先に上がっているものとがあります。

義兄と、かの本をパラパラめくっては、ああでもないこうでもないと下手くそなポルトガル語で(もちろん、わたしがですってばw。時々、専門用語は分からなくてイラつくのであります^^;)晩御飯の用意も夫もそっちのけで、話していたら、あっという間に10時(爆)

「こんな本を読んで研究してると、頭がおかしくなるぞ。」などと言いながら、すぐさまこの本をわたしのところまで持ってきたことを考えると、義兄ちゃんよ、お主もはまっておるな(笑)

してみれば、亡くなった夫の叔父、彼も医者であったのですが、家の書斎にはたくさんの英語の超常現象やUFOの本があったのでした。わたしが時々夫に、「この本にこういう面白いことが書いてあった」
と、エーリッヒ・デニケン(スイスの古代宇宙飛行士説をとる作家)読後知ったことを披露すると「Mおじさんが同じようなことを言っていたね」とよく返事が来たものでした。

もう少しわたしが言葉を自由に操ることができたなら、きっと楽しい情報交換、意見交換ができたであろうと、今となっては悔やまれます。

しかし、こと、テンプル騎士団に関しては、もともとメーソン、つまりテンプル建築の石工たちの隠れたメッセージに興味を持ったことから始まったのですが、ここにきて、もうひとり、頼もしい義兄という助っ人ができたようです。この叔父にして、この義兄にして、そして、わたし、昔から言います、「類は友を呼ぶ」(爆)
これがもう一昔くらいも前のことで、情けないながらいまだこれらの本の勉強は手がつけられていないのです。仕事で時間が云々と言う以前に、ポルトガル語の理解がおぼつかないのであるよ、君^^;
そうして始めたディアス先生とのポルトガル語も早や幾年。8才年上の先生とは時にお互いの老後の話や社会問題に及んだりするのですが、辛抱強くできそこないの年配生徒に付き合っていただけるのはラッキーというものでしょう。

それが、現在勉強しているポルトの通りの歴史本、残すところ7章です。一週間に1章をすすめますから、7週間、2ヶ月ほどで修了することになり、いよいよ目的の本に突入できます。この日を夢見て、ポルトガル語学習に取り組み、己を叱咤激励するがために、時にこの話題を拙ブログで取り上げてきたのでした。

テンプル騎士団、キンタ・ダ・レガレイラ、どっちからはじめようかなぁ、と迷うのを楽しんでいるのであります。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。


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2018年1月3日

我が日本語教室は今日からのつもりだったのが、昨夜、生徒さんから電話で「休み中、ちっとも日本語の勉強ができなかったので、来週からお願いします」と、連絡が入りました。

この分だと明日の生徒さんももあまり当てにはならないようで、いっそのこと日本式の正月ってことで、今週いっぱい休みにすればよかったな、と、ちと後悔しています。

しかし、こんな時、武田鉄也さんの母上さまの言葉が思い浮かびます。
「休みたいだの、遊びたいだのと考えるものではない。」なんかこんな意味のことをおっしゃってたように思う。ほっとくと、ドンドン怠け者になりがちなわたしには、これくらい言い聞かせてちょうどよろしw

大した儲けにもならないのですが、この数年、日本語授業数をバンバン増やしたせいか、日中は準備に追われ、パソコンの向かっていることが多くなりました。以前は、夜就寝前に必ず30分から時には1時間にも及ぶ読書をするのが慣わしだったのに、疲れがあるのか、とんとそれができなくなっていました。

読書が習慣ですから、枕もとのサイドテーブルに数冊本を重ねてあるのですが、それの手に取り開くには開くが、そのまま寝入ってしまい、いつの間にか夫が元の場所に本を戻してくれていることも多くなりました。

しかし、久しぶりに手に取った本、あっはっはっはとベッドで笑わせてもらいました。
いえね、旧職場のリサイクルコーナーから拾ってきた文庫本なのですが、「おせいさん」こと、田辺聖子さんの著書でやはり笑わしてくれます。

関西人のユーモアについて触れておるエッセイなどは、ほんま、そうや!今風に言う「あるある」なんです。ほんまとうまいこと、書いてます。初笑いです、ちょっと面白い部分を引用して、紹介しましょうw大阪弁のシャレ言葉だそうで。

「あの商談は夜明けの幽霊でんなあ」 → 「夜明けの幽霊」は立ち消える。
「あいつはトコロテンの拍子木や」 → トコロテンの拍子木なんて、音もでまへん。
                        つまりは、おとなしい人のこと
「お前はとんど、八月の槍やの」 → 八月の槍は「盆槍」→ボンヤリ
「饅頭の臼で、あいつはあきまへん」 → 饅頭屋の臼は餡をつく→アンツク(あほう)


ぼんやりだのアンツクだのと言うと角が立つが、「饅頭屋の臼やぞ」「八月の槍やぞ」だと、そう決め付けられても、言われた当人も、あははと笑ってしまい、
「すんまへん、桶屋の前だれで、忘れてました」と頭に手をやり、恐縮できる、とのことw
     ↓
「桶屋の前だれ」は、いつも桶の輪に擦れる→わすれる
もう一つ。これは格言類をもじったもの。

「ぼくは君といる時が一番しわよせ来るんだ」→「ぼくは君といる時が一番幸せなんだ」
                             加山雄三もじり
「金類みなちょうだい」→「人類みな兄弟」
「歯がために金が要る」→「誰がために鐘は鳴る」
「目に入れても見たくない」→「目に入れても痛くない」
「コネにて一件落着~」→「これにて一件落着~」(遠山の金さん)


いかがでござんしょ?笑う角には福来たる。

え?「あんたもお盆の商店街でんなぁ」(←spacesis作→お盆の商店街→暇)
ほっといてんか~笑

お粗末さまでございました。
では、また。
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12月11日
   
思い出のオルゴール:綴り方教室」に書いてあるのですが、わたしが初めて本らしい本を手にしたのは、小学校5、6年のころ、学校図書室から借りた探偵小説シリーズです。

今のように、簡単に本を買える環境になかったわたしは学校の図書室を大いに利用しました。それは高校時代も続き、自分の本となったものは一冊もありませんが、それらの借りた本の中で見つけた輝くような言葉たちをノートに書き止め、そのノートを何度も開いては覚えたものです。
本がない時はよく国語辞書を読んだりもしました。目新しい言葉に出会うのは新鮮な喜びでした。また、書店の本棚に並んであるたくさんの本のタイトルをひとつひとつ読んで見るのも好きでした。

小学時代のルパンシリーズやシャーロック・ホームズシリーズを読んだ地盤がありますから、大人になってからも文学系のみならず、警察ものや推理、ハードボイルド作品もたくさん読んできました。好きな探偵は?と問われればすかさず、フィリップ・マーロー、リウ・アーチャーと答えます。我が息子の日本名「理宇」には、この探偵の名を、実は拝借しているのです。

フィリップ・マーローもリウ・アーチャーも今では古典になってしまいましたが、10年ほど前までわたしが好きで読んできた本に、女性検死官、ケイ・スカーペッタを主人公にしたアメリカの作家パトリシア・コーンウエルのシリーズがあります。コーンウエル自身が実生活で検死局で仕事をしてきた作家です。

さて、これはまだ本では読んでいないのですが、イギリスで人気を博してきたドラマにイギリスの作家、リンダ・ラ・プラント原作の「Prime Suspect(第一容疑者の意味)」があります。

primesuspect1-1.jpg
(Wikiより)

1992年に始まったこのジェイン・テニスンなる女性警部(後に主任警部となる)シリーズ、全部で7話、2006年12月の先週、最後の7話を終え完了しているのですが、ポルトガルではいい番組は再放送が繰り返されますので、好きな番組は何度でも見ることができます。

かつては男性を主人公にしてきた警察ものも近年はそこに女性を据えての物語が多くなりました。わたしは性差別主義者ではないと思っていますが、一部の人たちが押し進めようとする、ジェンダー・フリー論には組みしません。体力的にはとても男には適わないと思っています。男同様の能力体力を持っている女性には、男性と同様な機会が与えられるべきだとは思いますが、全女性がそうでないことは、自分を見て分かっているつもりです。

ケイ・スカーペッタもそうですが、Prime Suspectのジェイン・テニスン警部も、事件のみならず、男性社会の職場にいて、女だということで同僚、部下との確執や差別を抱えて闘い抜き、部下の信頼を勝ち得て行くのですが、主演女優の演技の素晴らしさ、ドラマとは言え非常にリアリスティックで思わず引き込まれてしまいます。

本、ドラマを通してではありますが、ケイ・スカーペッタもジェイン・テニスンもキャリア・ウーマンとして生きていく上での大きな孤独を抱えており、その孤独が見ているものの胸にもズシリとのしかかってくるようで、所詮人間は男も女も最後はひとりだということを頭で理解しているつもりのわたしも、殺伐とした人生の終着点にふっと思いを運んでしまいそうになります。

特に、定年を目前に、最後の事件を手がけた「Prime Suspect: Final Act」のテニスン主任警部が抱える大きなストレスに抗いきれなくなる様は迫力があり、女性が仕事を全うして生きることの厳しさを、見事に描いています。

ドラマが取り扱う事件そのものより、テニスン主任警部が事件の主犯を執拗に追い続ける刑事としての心理が見えるとてもいいドラマでした。

これらは過去のわたしのヒーローたちですが、2013年に始まったシリーズ「Endeavour(エンデヴァー)」、これがまたいい。オックスフォードを舞台に、DC(巡査) Morse(モース) が、上司のサーズディ警部補と解決していく警察ものシリーズなのです。

Endeavour1.jpg
左がサーズディ警部補、右がモース(演じるのはShaun Evans )(Wikiより)

年に4エピソードで、今年2017年にシリーズが放映され目下来年度の新シリーズを楽しみにしているのですが、では、タイトルの「Endeavour(エンデヴァー)」とは何の意味かと言うと、これがしばらく明かされないままで行くのですね。

「ファーストネームはなに?」と問われても「モースと呼んでくれ」というのみで明かさないのですが、実はタイトルのEndeavour(努力、試みの意味。米語のeffort)がそれなのです。なるほど、努力ってのがファーストネームじゃ気恥ずかしくて隠したいという気持ちも分からないではない(笑)

Endeavourは、英国推理作家協会の投票で「好きな探偵第一位」に選ばれた「Inspector Morse(モース警部)」の続編として、モース警部が亡くなった後に彼の若き日の刑事時代のシリーズが放映されたものです。

Morse.jpg
モース警部と愛車ロールスロイス(Wikiより)

両シリーズでは、モースが愛するモーツアルトやワグナーのクラシック音楽、特にオペラがBGMに流され、オックスフォードの古い街並みと融合して、なかなかに味のあるクラシック探偵ドラマになっています。

残念なのは原作者のColin Dexterが今年3月に86歳で亡くなったことです。来年のEndeavourは既に撮影に入っているとのこと、果たしてどんな展開を見せてくれるか、楽しみにしているのであります。

下記、Youtubeにある宣伝画像です。

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