2018年7月5日 

夕方7時、晩御飯のため台所に立って野菜を刻んでいました。ポルトガルはただ今夏時間で、空がまだ真昼間のように明るい時間です。

かすかに猫の鳴き声を聞いたような気がして、慌てて我が家の猫の数を確認しました。全員います。なんだ、気のせいかと思い、再び台所であれこれしていると、やはり聞こえるのです、ねこの鳴き声が。

いったいどこからだろうかと、まず、台所のベランダから顔を出し、上を見上げると、ぎゃ!、子猫が上の階の洗濯物にぶら下がってるじゃん!

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写真はこの事件後に撮ったのですが、子猫は干してあるジーンズにぶら下がって必死に助けを求めた鳴いていたのです。
「おーい、カルロスさん!てぇへんだぁ!」と、早めに帰宅していた夫を呼び、「見て見て!子猫が!」

下はコンクリのパテオですから、落ちたら小さい猫は恐らくひとたまりもないと思われ、慌てふためいてイスを持ち出してくるわたしに、「おい、これこそ今度は君が危ないよ」とたしなめられ。

そのうち、階下の住人も気付き、車庫の前のコンクリ庭に集まってきました。その間も子猫は必死に鳴いています。

咄嗟に夫は小さなカーペットを持ち出し、図のように三本連なる洗濯ロープの上に広げました。

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しかし、カーペットだけでは心もとない。そこで大急ぎで我が家の猫の寝カゴの小さいほうを持って来てカーペットの上に置き、夫はそれを手で押さえました。下では見上げているアパートの住人たちが「Coitadinho!(可哀相に)」を連発しています。

いよいよ、力尽きた子猫、ついに落ちました。しっかりポーンと寝カゴの真ん中に!夫からそれを受けとり、ひとまず安心してもらうため、腕にダッコしました。小さな心臓がドキドキしていましたが、やがて少し安心したのか、のどをゴロゴロ鳴らし始めました。
下がその寝カゴとともに、すぐ我が家の台所に入った子猫です。

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律儀子猫で、まずは自分と同種のペトにご挨拶の様子(笑)

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ちゃんと相手をしてあげたのは、ペトだけで、我が家のほかの3匹は、チビの新参者はかなわん、とでも言うかの如く、そそくさとどこかへ姿を隠しました。

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我が家は2階のフラットなのですが、3階で子猫を買っているのをこのことで知りました。猫は身軽ですばしっこい動物です。何匹も飼ってきて、我が家の猫たちも一通り窓から落ちて慌てふためいた経験をしていますから、わたしは、ペットを飼っている時に気をつけるべきことの一つとして、窓を開け放して出かけないことを挙げます。

きっと子猫だから、まさか窓までよじ登るとは思いもしなかったのでしょう。夜、10時ごろ、我が家のチャイムが鳴り、若いお母さんと子どもが「すみません」と受け取りに来たときは、子猫ちゃん、我が家での冒険をさんざんして、ご飯も済み、猫ベッドで寝ていたのでした。 小さなお客さま、お帰りです。

今頃、上の階の人、子猫が必死にぶら下がった爪あとだらけのジーンズを手にし、がっかりしていることでしょう。

一件落着なり。
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2018年7月1日 

まだ一ヶ月ほど先、8月の話ですが、うふふふ、日本に住んでいる息子と娘が一緒にポルトに帰って来るんです。二日ほど遅れて息子のパートナーもやってくるので、小さな我が家はとても賑やかな夏になりそうです。

婿殿が来られないのは残念ではありますが、娘夫婦も3匹ねこがおり、1日2日ならいざ知らず、わたしたち同様、二人一緒に何日もの留守は難しいのですね。それに、婿殿は長い休暇も取りにくいところでしょう。

モイケル娘が日本の大学受験を目指して独りポルトを旅立ったのが、2004年6月30日で、ちょうど夫の誕生日だったのです。10年も前になります。息子と娘が共に顔を揃え、家族全員集合はと言えば、ひゃー、かれこれ12年前になりますやんやん!

モイケル娘を日本へ送り出した後の日記にこんなことが書いてあります。以下。

2004年7月2日(金曜日) 「モイケル旅立ち後始末」

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かった娘、モイケル。この日はちょうど夫の誕生日で、「What a nice present」と彼がボソリ呟いていたのを覚えています。わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深~いため息をついておりました。
しかししかし、こんなことでしょげてはいられません^^
で、「さて。じゃ、ちょっとあの散らばった部屋、少しづつなんとかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず娘が残していったペーパーの類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

と、「なんだ、こんなとこにまだわたしのお古の財布が置いてあるわ。捨てきれなかったのかな?」
机の上に見つけたそれをいったんはくずかごにポンと放り込んだものの、何の虫の知らせかちょいと気になり、念のためにと中身をあらためましたらましたら~。
おお!なんとまぁ、「福沢諭吉さん」が二枚入っているではないの!も、もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだったで・・・^^;この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよ~。ホクホクホク。
モイケルめ、きっと今頃、家計簿の計算があわないでいるに、違いない。(日本に着いたらすぐ家計簿をつけよ、と言ってあった)
これを黙って我が懐に入れ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらいに言っとこうか。
しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセでとっ捕まえたモイケルに話しましたら、言下に「親譲りの天然ボケだ」と・・・
トホホホ・・・

とまぁ、嬉しいにつけ寂しいにつけ、なにかとオチがつく家族ではあります。

2008年の家族全員集合時の子どもたちの写真。
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3月15日のこの日は我ら29回目の結婚記念日でもありました。大学の春休みを利用して帰国の娘、リスボンから駆けつけて合流した息子ともに、Fozのレストランで食事。翌年2009年2月には息子も日本へ移動したのでありました。

では、みなさま、また。
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2018年6月29日 

今日は出張日本語を終え、車で帰宅するなり1時まで個人レッスンを1時までしたのですが、これで一度、休憩を取らないと、近頃はちょっと苦しくなるのです。しかし、外猫五匹の猫缶がないのであった^^;果物もないな。

かったるいなぁと思いながら、そそ、パイナップルケーキを作るためのパイナップル缶詰を切らしていて、それも必要なので、重い腰をあげて車を飛ばしました。パイナップルケーキは明日の夫の誕生日祝いになるのです。わたしが半年ほど先に年を取り夫が追っかけてきてやっと同じになるという具合です。

スーパーでの買い物もてきぱきと行かずなんだかダラリとして、大きな買い物カーゴを押すのもダレ~であります。これらの買い物袋を二階のフラットまで運び上げるのも実は重いので楽ではないのです。

なにがこんなに重いかと言うと、まずは先ほど言った外猫の猫缶(もう4、5年、うち猫と同じカリカリ餌にしようと猫缶にそれを混ぜているのですが、これがまだ完全に切り替えられない状態でいます)、それに、メロンやリンゴ等の果物の重さ、その他もろもろ。毎日は行けませんから、どうしてもまとめ買いになり、重くなるのは避けられない。

フラットは4階建てなのでエレベーターが不要ゆえ、ありません。一階はとかくこそ泥に入られたりするので嫌だけど、3階4階も年取ったら、階段を上るのがしんどいからと言って一階を選んだのは正解です。

さて、帰路もダレ~っと運転していましたら、突如目に入ったカラフルな旗旗旗!うわ、何やねん、あれ!あ、そか、明日のワールドサッカー、ポルトガルとウルグアイ戦の応援やな、と通り過ぎた道をもう一度引き返しパチリ。 わたしも物好きだなw

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よっし!ケーキ作りがんばろう!と国旗に元気をもらって帰宅したのでした。

ポルトガルにだって暗い歴史はある。でも、国を思う心は人一倍です。んで、すぐ言うんです、「ポルトガルは一番だ!」って(笑)

「HINOMARU」という歌を作ってCDに入れたら、廃盤にしろ、二度と歌うななんてデモが起こる日本(と言ってもデモに集まったのは3人だけとか)、国旗掲げただけで右翼だよ?国旗も堂々と翻らせられない国ってなんやのよ?

と、こんなことに多少腹立てながらパイナップルケーキを作っていたら、うげ!途中で手順を間違えたのに気付いた^^;長い間作ってなかったもんね。やり直ししたのですが、この手順間違え生地をどうしようかと思案。どういう結果が出るか分からないが、よし、生地を寝かせたらクッキーに出来るかもしれないと思い、ただ今生地は冷蔵庫に中なり。

ちょっとパイナップルの位置がずれたけど、できあがった夫の誕生祝のケーキです。
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ではみなさま、また。
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2018年6月28日 

一昔も前の話になりますが、自分でも時々思い出してはクスッと一人笑っている話です。

とある夏のこと、「寿司、お好きですか?」で始まった、奥さんが日本人、ご主人がポルトガル人のご夫婦に誘われて、夫と共に昼食に出かけました。ポルトから20分ほど車で行った海辺の町、Mindelo(ミンデーロ)のアパートでした。

到着すると他に二組のポルトガル人の夫婦と、もう一組イタリア人夫婦がいて、総勢10人ほどの昼食でした。わたしたちを除くと、みなさんはどうやらアーティストのようでした。

メニューは手巻き寿司でしたが、メインの魚は鮭と鱸(すずき)。今のように、まだスシブームは到来していなかったのですが、魚が新鮮でとても美味しかったです。

食べ物には意外と臆病なわたしは、自分の家では新鮮だとしても、そのまま魚がテーブルにのることはありません。若いときは、イカを除いては、刺身は苦手な食べ物でした。今でも、一番美味しいと言われる「トロ」は、どうもダメなのです。しかし、その朝、漁師から仕入れて来た鮮魚だというので、いただきました。

食事をしながら、鮭は見た目ですぐ分かるのですが、薄切りのスズキを指して、

 「なんという魚?」とこちらの人達が聞きます。
そこで私、「Robalo。日本語ではSuzukiです。」
 「で、こちらが日本語ではHonda」と、別の刺身の名前を紹介。
みなさん、え?SuzukiにHonda?とちょっと驚いたような顔です。

「それでね、これがToyotaよ^^」と鮭をわたしが指差して言ったところまで来て、ジョークに気づき、みなでワーッハッハッハ!

会話のやり取りはポルトガル語でなく英語でした。今ならこのジョークもポルトガル語でいけますぞ、と手ぐすね引いて機会を狙っているのですが、これが使えるのは生の魚を目の前にしていないとできない訳で。日本食レストランの「一番」さんに行くのは、もっぱら夫が相手ですから、ポルトガル語でのこのジョークを残念ながら長年、出しそびれているのです。

本日はこんな小噺にて、失礼。

ではみなさま、また。
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2018年6月27日 新装Café A Brasileira

時間的に余裕があった数年前、ファサーダ(Façada=ふるい建物の表玄関)の面白さに惹かれ幾度もカメラを向けながら、ついぞ紹介に至らなかったCafé A Brasileira(カフェ・ア・ブラズィレイラ)。更に残念なことに、入ってみようと思いながらもついに入らずじまのまま、今日では紹介も叶わなくなってしまいました。

Café A Brasileiraは、2013年にその長い歴史の幕を下ろしたのですが、ポルト最古のカフェのひとつに数えられた故、メモとして記録しておこうと思い、本日取り上げます。

まず、紛らわしいのですが、ポルトにある「Café A Brasileira」 と「café Brasil」を混同なさいますな。

下がサン・ベント駅横にある「café Brasil」。庶民的なカフェで歴史はさほど古くありません。

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こちらがサ・デ・バンデイラ通り(Rua de Sá de Bandeira)にあるポルト最古だったカフェ「Café A Brasileira」です。

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すぐ側には、映画やネットが普及した現在でも頑張って、まだ存在しているのが不思議なくらいの古いサ・デ・バンデイラ劇場(Teatro Sá de Bandeira)があります。

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さて、ポルトの古い有名なカフェと言えば、代表的なのが「Majestic Café(1921)」、そして、「Guarany(1933)」「Proguresso(1899)」「Cae Piolho(1909)」が挙げられますが、Café A Brasileiraは1903年にポルトでオープン、ポルトのカフェの中でも、鉄線の美を使った大きなファサードが人目をひきました。

店内もクリスタルと大理石、細工のある皮の装飾で、当時は大いに話題を呼び、文化人を始め政治関係者など、エリートが集ったと言われます。創立者はブラジルへ出稼ぎに行き財を築いたAdriano Soares Teles do Vale。

ポルトガルに帰国し、リスボン、ポルト、ブラガなどでブラジルから輸入したBrasileirasコーヒーのチェーン店販売を展開するのですが、外でコーヒーを口にするなど、まだ一般的な習慣になっていなかった当時、Adriano Teles 氏は、それを広めるために、自分の店でコーヒー豆を買う客に、その場でコーヒーカップに入れた自前のブラジルカフェをただで提供し続けたと言われます。しかもその年数たるや、なんと13年間!

また、現在で言えばマーケティングの走りとも呼べる、カフェのスローガンを市内の壁のあちこちに描かせて宣伝し、店の名とそのスローガン「O melhor café é o da Brasileira」を有名にしました。
その宣伝はわたしも何度かダウンタウンのLargo Mompilharにある石壁で見かけており、今もあります。

さて、下のCafé A Brasileiraのファサーダにわたしは興味をもったのでした。

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これは、Adriano Teles氏の家紋でしょうか。ダビデの星こと五芒星(ごぼうせい)です。よく見ると下のリボンにはTeles氏の苗字もTELLSとLLになっています。これはメーソンのシンボルでもあるわけですが、Tele氏のメーソンの関わりは検索では今のところ、ひっかかってきませんが、恐らくそうであろうとはわたしの推測です。

2013年に、ポルトのCafé A Brasileiraは閉店の憂き目を見、予定では2017年にホテルになるとのこと。さすれば内装は大きく変えられ、かつてのCafé A Brasileiraの面影はなくなるのは残念ではありますが、これも逆らえぬ時代の流れを表します。

Café A Brasileiraは上述したようにリスボンにもあり、詩人のフェルナンド・ペソアが通ったカフェとして名が知られています。

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カフェの前の通りに座る、フェルナンド・ペソアの銅像。
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と、書いたのは2年前のことです。上述したようにホテルに改築されていたのですが、予定より遅れ、今年2018年3月に五つ星ホテル、A Brasileira, Pestana Hotelとしてオープンしました。
嬉しいことに地階のファサーダはほとんど手付かずです。そして、建物の左側のカフェの一部もそのまま残り、「カフェ・ア・ブラズィレイラ」が再び開店です。

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今度はチャンスを逃すまいと夫と入ってみました。

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入り口(写真右)を入るとすぐ右に昔のままの鏡があります。

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白と水色を基調にした店内のデコレーション。木彫りのイスもかつてのカフェのシンボルがしっかり取り入れられています。

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この日は暑く、メニューにポルトガルでは珍しいアイスコーヒーを見たわたしたちはそれを頼みました。正面のカウンターを観察していると、シェイカーを振っていました。出てきたのはこれです。

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味はOKです。それとあわせて、頼んだのがレモンタルト。これはおいしかった!

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かつてを懐かしんでやってくる客がきっと多いだろうと夫と話していたら、早速知人のカップルに会いました。若いときにはよくこのカフェでデートしたのだそうで、ツーリストに混じり、昔のままの装飾がかつての顧客たちを惹き付けて、再び賑わうことを願ってやみません。朝9時から開店です。

では、また。
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