2017年4月1日

昨年9月まで30年ほど狭い我が家を掃除に来てくれたお手伝いさんの、今日は話です。

週に2度、もう解雇したくも解雇できず、ずるずる今日まで19年間午前中の3時間、大きくもない我がフラットの掃除を頼んでるDona Belmiraが(ドナ・ベルミーラ)おります。倹約のために、もういいかな?と思ったりすることもあるのですが家族の一員みたいなもので解雇などもう出来なくなってしまいました。

Donaと言うのは、ポルトガル語で既婚女性の名前の前につけられます。例えばわたしの場合は、「Dona Spacesis」と言う具合です。奥さんということでしょうか。

さて、そのD.(Donaの略)Belmira、今朝我がフラットのドアを入るなり、自分が先日行った血液検査クリニックでの不満をまくし始めた。

ポルトガルでは血液検査は病院ではしない。それ用のクリニックがあり、そこで採血してもらい、後日検査結果を受け取けりに行き、それから、その結果を病院の担当医にもって行って診断を仰ぐのである。

何に立腹してるかといいますと、こうです。

どこもそういう検査のクリニックは人でいっぱいになるのは目に見えているので、家を朝早く出た。それでも自分の番号札は44番。じ~っと我慢の子、自分の番号が呼ばれるのを待っていたのだそうです。

段々44番に近くなり42番が呼ばれた。いよいよ自分の番だと思いきや42番から43番、44番をスッ飛んで50番と54番を看護婦さんが呼んだのだそうだ。

実を言えばこういうことはよくあるのです^^;
看護さんが番号を間違えるのではなくて、間に例えば知り合いとか、知り合いの紹介とかの人をサーッと間にいれるのでして^^;言うなればコネですね(笑)

しかし、D.Belmira、黙っておりませんです(笑)なんでよ。なんで43の次が50になるの!早速その場で看護婦をひっつかまえて、一席ぶった。

「ちょ、ちょっと、看護婦さん、お待ちよ。今、呼んだ番号、何番と何番?」
「この番号札、順番でしょ?」 「そうですよ」と看護婦。
「あたしゃ、44番なのよ。43の次がなんで50になるの?」
「あたしの里じゃ、43の次は44が来る。50は49の後と学校で習った。ここは違うのかい?」

ここまで聞いてわたしはキャハハハハと大笑いしてしまった。D.Belmiraは続ける。

さすがの看護婦もこれには抗しきれず仕方なく43、44と呼びなおした。しかし、Dona Yuko,その後がいけまへん。

「見てくださいよ、D.spacesis」と採血の痕がついてる腕をつきだして、「あの看護婦ったら、腹いせに2度も間違った振りして、針が通らないとこに突き立てて!」  見ると、腕の同じ箇所に3つの注射針の痕が確かにある。

必ずしも故意にしたとは思われないが、なんともわかりません^^; えらい気の毒なことではありましたが、わたしは、D.Belmiraがプリプリ怒っているに拘わらず、「あっはははは」と大声で笑わずにおれないのでした。

こういう小さなことから大きなことまで、ポルトガルがコネ社会であるのは間違いない。フェアじゃないと知っていながら、夫の同業の医者や看護婦から、わたしも時々夫の七光りを受けて、43番の次に50番が来るようなことをしてもらってることが残念ながら・・・ある。そのようなことを自ら頼みはしないが、夫を知っている人たちは知らぬ間にそういう計らいをしてくれてるはずです。

そう思ったら、「あっはははは」とひとしきり笑った後で気がひけてしまいましたっけ・・・
いやぁ、わたしもエラそうなことは言えませんて。

ベルミーラおばさんが我が家を去って後、新しいお手伝いさんが通って来ていますが、こんな楽しい話が聞けたりするようないい関係になるといいなと、楽しみにしているわたしです。

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2017年3月29日

日本滞在中であちらこちらと出歩いているのと、慣れない他人のパソコンを使用しての更新は大変故、更新が滞りがちです。
せっかく拙ブログを訪れてくださる方には申し訳なく、日本滞在中は過去記事を掲載していますので、ご了承ください。

さて、今年はいよいよ70の大台に乗るわたしです。これといった大きな病なく過ごしてこれたことに感謝する日ごろですが、今日はそんなわたしの年齢を遥かに超えた二人の対照的な女性についての過去記事を引き出します。以下。

安楽死が法律で許可されている国は、勿論それなりの条件があるのですが、世界にオランダ、ベルギー、そして国ではないが、アメリカのオレゴン州だそうです(現在はもっと増えている可能性もあります)。

この問題に関して、わたし自身の結論は出ていないので、それについて書くことは今日は避けるのですが、4,5日前にこんな二つの話を耳にしたのです。

ーベルギー、アントワープに住む93歳の安楽死を希望する女性が、法律的にその希望が受け入れてもらえず、ハンガーストライキに入った。93歳のこの女性は、病気をしているわけでもないのだが、「もう生きているのがイヤになった」のだと言う。ー

すると、その翌日、ポルトガルのラジオ番組で、ポルトガル南部、アルガルヴ地方に住む91歳のアンゴラ(アフリカ系)女性の話が話題にのぼりました。アンゴラからの移民で苦労のしづくめ。学校へ行くこともなくずっと文盲で来たところ、一念発起、小学校1
年生から勉強を始めるのだそうです。

91歳の女性が、果たして小学校での勉強にちゃんとついて行いけるのか、体力面で継続できるのかなどの疑問は別として、わたしはこの二つの話に、なんと言う人生のとらえ方の違い!としばらくの間、考えさせられたのであります。
そして、わたしも時々、いっちょ前に人を励ますときに使うこんな例え話を思い出したのでした。

自分の好きなスピリッツ(お酒)が3分の1入ったグラスを手に、「あと三分の1しか残ってない^^;」と見るか、「あと3分の1も残っている^^」と見るか。これは、物事をネガティブにとらえるかポジティブにとらえるかの違いでしょうか。どちらのとらえ方をするかによって、人生もまた大きなうねりを見せて違っていくような気がします。

アントワープの女性については、もっと詳しい情報が入ってこないのでなんとも言いがたいのですが、ふと、この女性は子供とか孫とかの家族は、愛する人はいないのだろうか、これまでどんな人生を送って来たのだろうか、と、苦労の連続の人生だったであろう、ポルトガルのアンゴラ女性のそれよりも、わたしは興味を覚えてしまいます。

そして、長年寝たきりの夫の母を思います。14年間寝たきりの彼女は94歳で亡くなりましたが、後半の7、8年は流動食も飲み込むことができなくなり、鼻チューブを通して栄養をとり、家族が話しかけても反応がなく、意識がないようで眠る月日でしたが、時々そういう義母のことを知っている人のなかには、「それは生きているとは言えない。死んだほうがましかも知れない。」というのもいました。

言うことが分からないわけではありませんが、ただ、それに対してわたしは言ったものです。「死んだほうがましかどうかは、周囲のわたしたちは分からない。なぜなら本人は言葉を発することも、なにかの意思信号を送ることもできないのだから。

14年も寝たきりの義母を見ながらわたしは思ったものです。意識がなく眠っているだけだと思っているのは周囲の人間の思違いであって、実際には周りで何が起こっているのか、周囲の人間がどんな話をしているのか、彼女は全て知っているのかも知れない、と。

わたしたちは毎日生きているには違いないけれでも、確実に日々死という未来に向かって時間を刻んでいるのもまた事実です。
彼岸のことは、誰一人として帰ってきた者がいないので、「死」が果たしてどういうものであるかは、想像する以外はないのですが、
ベルギーの93歳の女性は、どんな風に想像して、「安楽死を希望するのかと、この数日、なにかの拍子に頭をよぎって離れない
対照的な二つのニュースではありました。

spacesisさんはどっちのタイプかって? う~ん、実際に自分の身に起こってみないと分かりませんが、案外、91歳くらいになって、「どれ、孫も一人前になったところで、経済的に余裕もできたし、念願の大学へ行くべか^^」てなことも、言い出しかねないかしら(笑)

そそ、その頃には、我がモイケル娘が日本での大学進学を目指した時に約束したの「MSFEこと、麻衣子老人支援財団」が出来ておりますようになんまんだ~~(笑)

それについては下記にありますので、どぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-82.html

本日はこれにて。

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2017年3月26日

桜の花咲く季節になると、わたしには台所に立ちながらふと口をついて出てくる歌が二つある。ひばりさんの「柔」だ。

「勝つと思うな思えば負けよ 負けてもともと」
「奥に生きてる柔の夢が一生一度を待っている」
「口で言うより手の方が速い馬鹿を相手の時じゃない」
「往くも止まるも座るも臥すも 柔一筋夜が明ける」

この歌には人生の知恵と哲学が凝固されているとわたしには思われる。だから、食事を作りながら小節(こぶし)をきかしてこの歌を唸ると、わたしはとても元気になるのだ。演歌そのものは、わたしはあまり好きではないのだが、これは別である。

「柔」と歌う部分を、心の中で「自分の夢」に置き換えてみる、苦境に立ったときも、起き上がり頭(こうべ)を上げて、また歩き出せる気がするのだ。この歌にわたしは何度も勇気付けられて来たように思う。

もうひとつは、「南国土佐を後にして」

♪南国土佐を後にして 都へ来てから幾年ぞ

で始まるこの歌は、昭和34年にペギー葉山が歌って大ヒットした。日中戦争で中国に渡った第236連隊には高知県出身者が多く、この部隊が歌っていた「南国節」をヒントに創られた歌だと聞く。

わたしの故郷は桜まつりで有名な弘前である。それが何ゆえ「南国土佐」なのかと言えば、その桜まつりに関連する。

わたしが子供のころ、「桜まつり」等とは呼ばず、「観桜会」と言ったものである。夏のねぶたまつりと並んで、観桜会や夏のねぶた祭りには、雪国の長い冬を忍んで越した津軽の人々の熱き血潮がほとばしるのだ。

弘前公園内は3千本もの桜の花咲き乱れ、出店が立ち並び、木下サーカスやオートバイサーカスが毎年やって来ては、大きなテントを張った。「親の因果が子にむくい~」の奇怪な呼び込みで、子供心に好奇心と恐怖心を煽った異様な見世物が不気味であった。お化け屋敷もお目見えし演芸場が組み立てられ、そこからは園内に津軽三味線のじょんがら節だのよされ節だのが流れた。

わたしが12、3のころ、その年の観桜会でNHK「素人のど自慢大会」の公開番組があり、わたしは生まれて初めて往復葉書なるものを買い、こののど自慢大会出場参加に応募したと記憶している。

どんな服装で出場したかはもう覚えていない。外出用の服など持っていなかった子ども時代だったから、想像はつく。
きっとあの頃いつもそうであったように、両膝っこぞうの出た黒っぽいズボンであろうw。今にしてみれば黒っぽいものをよく着せられたのは、黒は汚れが目立たないからであろう。

そして歌ったのが「南国土佐を後にして」である。客席で見ていた母の話では、「出だしはとてもよかった。これはヒョットす
ると鐘三つかな」と期待したそうである。

ところがである。一人で歌う分にはいいのだが、生まれて始めて人前で歌ったわけですから、とても上がってました。
後半がいけませんです。伴奏より先走ってしまったのでありまして^^;「土佐の高知の播磨橋で」に入る手前で、鐘がなりますキンコンカンw いえ、二つが鳴りましたです。恥ずかしさにうつむいて退場する少女でありました。

わたしの声域は低い域そのもので、普通の女性歌手の歌は高音が出なくて歌えないのだが、ペギー葉山さんの音域は大丈夫。台所のベランダから外へ丸聞こえなのだが、誰に遠慮がいるものか~。よく台所でこの歌を歌いながら、さぁ、こい!今なら鐘三つもらうぞ!と、はた迷惑にも、つい力を込めて大きな声を張り上げてしまうのだった。夕方帰宅した夫がフラットのドアを開けるなり言う。「ドナ・ユーコ、外にまる聞こえだよ」

弘前公園の桜は18世紀の初期、津軽藩士が25本のカスミ桜の木を京都から取寄せて植えたのから始まるのだという。明治にはソメイヨシノが千本、更に千本植栽され、現在ではソメイヨシノを中心に、枝垂桜、八重桜の役50種類2500本の桜が春爛漫と公園に咲き誇る。

今年こそは秋に、正月に帰国しようと毎年思いながら、2月も終わり頃になると桜の花はと気もそぞろ、結局始終春の帰国にしてしまうのは、桜の国、弘前で生まれ育ったサガであろうか。
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2017年3月22日

帰国寸前に、とある企業のマーケティングセクションから、今週ExpoNorteで開催されるイベントで、日本文化展示をしてくれないかとの申し出があり、断り切れず、同僚のOちゃん、自由に使っていいので一人でやってみてと、ついこの間かたづけたばかりの展示物を再びそれぞれの場所から引っ張り出して、Oちゃんにバタバタ手渡し、期限ぎりぎりの会員雑誌原稿を仕上げて飛んできました、東京へ。

いつもの如くゲートで搭乗券をスキャンにかざしたところが、小さな番号札が出てきました。げ!なんか間違いでもしたかしら?と不安な面持ちで女性係員を見ていると、男性係員がやってきて、「お客様、今日はこちらのプレミアム・エコノミークラスの御席にどうぞ」と言うではありませんか。

Premium EconomyClassというのは、数年前からビジネスクラスとエコノミークラスの中間にある席です。スペースがゆったりしていて体が随分楽に感じられます。

実は近年毎回の長時間フライトに悩まされており、あと何回こんなハードな旅行が続けられるだろうかと、今回は不安がありました。あたかも、その不安を感じとってくれたかのような飛行機会社からのサプライズ!本当に嬉しかった!古希の贈り物ともとらえられます^^

羽田到着の21日、ほぼ同じ時間帯に息子も仕事の春休みを利用して旅行していた香港から帰国だったのですが、お互いの疲労を考えて空港での再会は見合わせました。

というので、ただいま東京です。桜の開花が宣言されましたが、まだ少し寒いですぞ。
4週間ほどの滞在ポルトに帰国しますが、できるだけ、更新をしてみたいと考えていますので、みなさま、時々おいでくださいませ。

それでは、本日は取り急ぎ、お知らせにて。

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2017年3月16日 

東日本大震災から6年経ちました。3月11日は9・11と一緒に忘れることが出来ない日です。いても立ってもおられず、4月に入るやそうそうと我が子たちの様子を見に帰国したのでした。

今日はあの日、あの頃を思い出し、いざという時の心構えをわが子たちの持って欲しいがため、6年前の日記から抜粋してみたいと思います。

2011年3月12日

地震の被害にあわれたみなさまに、こころからお見舞い申し上げます。

我が子たちも所沢の妹たちも無事だったとは言え、ニュースで繰り返し放映される画像を見るにつけ、手放しで喜べない気持ちです。目を覆うばかりの惨状に愕然とし、泣きたい気持ちになります。みなさまのご家族、ご親戚、お知り合いの方々はご無事でしょうか。

昨日の午前中はいつもの日本語教室がキャンセルされていたので、前夜は新しいクラスの準備で少し夜更かししてしまい、いつもなら起床している時間にまだ寝入っていたのでした。

それが、7時半過ぎに電話が鳴り、こんな朝早い時間にいったい誰だろうと思い、ベッドから飛びおりて玄関ホールの電話を置いている所まで小走りに向かいました。

受話器を取るなり「ユーコさん!あんた、東京が大変なことになっとるで!子供たちおるやろ!ニュース見てみー!」と大阪出身の友人の一声です。

同じ人からこれと同じ声の調子で、かつて突然の恐ろしいニュースを知らされたことことがあるの一瞬を思い出しました。1995年1月17日の関西大震災の時でした。

ギョッとして大慌てでテレビをつけると同時にパソコンのスイッチを入れました。朝からテレビをつけるなんてことは大事件でもない限り我が家ではまずありません。

そうして目に飛び込んできた画像に、しかも即それを東京だと思ったものでもうその後は大変でした。すぐ子供たちのケータイに電話を入れたもののつながらない、所沢の妹宅の固定電話もダメ!

今、日本は何時よ!?娘は?息子は?と不安は募るばかり。何度も何度もダイヤルを回せど同じ応答です。ウェブ新聞で更なる情報を得ようと慌てふためいてパソコンに走りました。すると、スカイプで息子が「ママ、地震があった、こわかった~」と、声をかけてきました
ケータイはつながらねど、ネットは大丈夫なのですね、こういうとき・・・

息子は昨日は仕事が休みで、地震が起きたとき、外で自転車を走らせていたそうです。急いで帰宅し、やったことが、なんと!3匹の猫たちをそれぞれのカゴに入れて外へ運び出したのだそうです。(あんたら幸せなねこやで!)

モイケル娘は?と聞くと、「まだ会社だと思う、けどケータイが通じない」と言う。ダメもとでケータイにメールを送ろうとメールボックスを開くと、モイケル娘からのメールの件名、

「かあちゃん、地震起きました」

この件名を見た瞬間、わたしの心臓はぎゅぎゅっとしぼんだ!そして、短い文面を読んだ瞬間、安堵に胸をなでおろしたのでした。

まだ会社にいるが、都内の電車が前面ストップしているので帰れない。いわゆる帰宅難民になっていたわけです。

そのうち、「同期の人たちで歩いて帰ろうという話が出てる」と言うではないか。おいおい、まて!それは危険なことだよ。止めよ、とメールを打ったが、息子、「She's comming back. 家に向かってる」

「シ、シーズ カミング バックって、あんた!止めるのよ~」と叫べど既に遅し。

すると間もなしに娘からの返事、
「今歩いてる。心配しなくていいよ。グループで歩いてるから」こういうときは、余震もさることながら、狼男も心配なのだよ、おっかさんは!

我が娘、思うに絶対ネコのことが心配で、歩いて帰る気になったに違いない。同じ環境だったらわたしも同様のことをしていたこと確実であります。

夫も勿論起き出しておりましたが、気になるとて患者の仕事を休むわけには行かない。間もなく出勤しましたが、残ったわたしは、新しいクラスの準備も手に付かず、そのうち、友人たちから、親戚から、知人からと電話が一日中なりっぱなしです。

娘が一緒に歩いたグループは会社の寮の人たちで、実はその寮が偶然我が子たちのアパートの一つ駅違いのところにあるのだそうな。たまたま、社員に寮から築地にある会社まで、1時間ほどかけて自転車通勤をしていたツワモノがいたのだとか。それで道を知っていたので、皆で徒歩で、との決断を下したそうだ。

自転車で1時間が、歩いてなんと4時間半!たはーー!どんな靴でそんな長時間歩いているのだろうか、足、大丈夫だろうか・・・そんなことを思い巡らしながら、気もそぞろで新しい出張日本語クラスを終えて帰宅し、息子から家に無事たどり着いたことを確認して、ひとまず安心したのでした。

2011年3月20日

我が家にはポルトガル国内にいるたくさんの知人親戚から毎日のように子供たちの、日本の安否を気遣って電話がきました。

特に我が子たちを幼いころから可愛がってくれた夫の姉、子供たちからすると、Tia Luisa=ルイーザおばさん、そして84歳で現在地方の老人ホームで生活しているPrima Alda=プリマ・アルダ(いとこのアルダおばさん。「いとこ」がいつの間にか彼女の定冠詞になってしまいました^^;)は、涙声で毎日電話をくれ、わたしが「大丈夫!心配ない!」と慰める側に(笑)

今回、計画停電を体験した方々も多いことでしょう。今でこそ、ポルトガルもそこそこに便利な生活を享受できるようになりましたが、わたしが来たころの38数年前のポルトガルはこんなものではありませんでした。

予告なしの停電、断水はしょっちゅうで、年末、新年にかけての三日間ほど断水に見舞われたこともあります。旧年の垢を体にまとっての正月なんて、物心ついて以来初めてではなかったでしょうか。

まだ、こどもたちが赤ん坊の時の断水もしょっちゅうで、当時は紙おむつがあまりなかったものですから、オムツを洗うのとオムツかぶれを防ぐために、常時気をつけて貯水の準備していたものです。

そそ、断水に因むこんな呆れた体験もあるのですよ。

日本の便利な生活に慣れていたわたしは、エラい国に来てしまったと当時は少なからず思ったものです。そういう体験から、そんな時にも慌てないイライラしない忍耐力を学んだと思います。

子供たちも「停電だから今日はできませんよ」とわたしに言われ、それこそ「がびーーん」の体験を少しは覚えていることでしょう。
ですから、ポルトガルでは、まぁ、停電はままあること、小さな赤ちゃんや病気のお年寄りがいるわけではなし、数時間の停電は彼らはなんとでもなります。

ただ、停電に備えて懐中電灯がなかったというのは抜けておりました。モイケル娘いわく、「どこにも売ってない、ネットで見つけて注文したらもう売り切れだった」

さもありなん。我が家では停電用にと、キャンプ用のガス灯や懐中電灯、更にはろうそくまで暗闇でも常時手の届くところに置いてあります。豊かな文明生活を享受している、特に若い世代は恐らく懐中電灯など常備していない人が多いのではないかしら?

日本からポルトに来る日本人からは、よく不便だ遅れている、物事がちゃんと機能していない、などの不満を耳にしますが、全ての事物は二面性を持っていることを思い出していただきたい。文明の利器も同じです。自分が住んでいた生活環境をそのまま他国に持ち込んでは、その国での生活を楽しむことはできないし、国際感覚は学べない。

国際感覚とは語学ができることではなく、自国と他国との違いを学び、受け入れ、理解し合うことだとわたしは思います。

今日のポルトは雲ひとつない真っ青な空です。夕べは大きな満月が煌々と空にかかり、主のいない子どもたちの部屋にも窓から月光が差し込んでいました。大好きな音楽もこの一週間ずっと聴いていないことに気づいた今朝、久しぶりにモイケル娘の作曲した音楽を聴いています。

水が飲め、そこそこに食べ物があり、電気があり音楽がきける。会いたい人に会いたい時に連絡がとれる手段がある、そんな基本的な幸せがあるだけでも生きているという充実感を改めて感じさせられた一週間でした。

被災者の方たちはこれから苦難を強いられますが、どうか生きていることの幸せを噛み締め、再び立ち上がって欲しいと願わずにおられません。

2011年3月23日 笑っちゃいけないが、なんだか可笑しい

原発問題がまだ明確な見通しがついておらず、現場では今日も危険を承知で必死な作業が続けられています。ニュースを通して被災者たちのエピソードも聞こえてき、気の毒で涙が出てきます。
しかし、人生は続く。日本人の、人間の生命力の逞しさを信じたいと思います。

「おっかさん、今日はパンが買えた!」とモイケル娘。日本は物が豊富だ、というより、豊富を過ぎて贅沢だとフッと思うことがあります。今回の被災地だけでなく、世界には食料不足に困っている人たたくさんいるのですが、贅沢に慣れてしまうことは怖い気もします。パンが買える喜びを、娘よ、覚えておいて欲しい。

計画停電だというのに、懐中電灯もろうそくもないという我が子達、懐中電灯をネットで注文したら品切れでないと言う。大阪の我が親友Michikoが食べ物を含むそれらの物資の差し入れが届けてくれました。

子供たちの住む区域、夕方6時から10時まで停電の今日、間もなくその時間がくるという前の少しの間、スカイプでモイケル娘と話しました。

おっかさん  懐中電灯、手元に用意してる?
モイケル   うん。ヘッドライトをつけてる
おっかさん  へ、ヘッドライト?
モイケル   そ。みっちゃんが送ってくれたのを頭につけてる。
        鏡で今自分の姿を見たら、マヌケだった^^;

↓こ、こんなんを頭につけてるんか、と思ったら、停電を待機しているのが気の毒だとは思ったが、おかしくてつい大声で笑ってしまった。
トーチ

笑っている間に停電が来た様で娘はスカイプから落ちていた。夫にもヘッドライトの話をし、このところ、わたしたち夫婦の会話はずっと心配な話題か津波の映像を黙って見るばかりでしたが、こんな小さなことだが久しぶりに笑った気がします。

長い記事になりましたが、時に思い出して気持ちを引き締める必要があると考えたのでした。
息子よ、娘よ、いざという時の準備はしてるかい?

本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。
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