2017年5月11日
 
「5月10日、M・モイケル娘誕生。初夏の気候、快晴。とても美しい日の12時20分、ラパ病院にて。体重3200g、身長49cm。Melo先生とアウグスタ看護婦さん、夫が立ち会う。」

1986年の我がモイケル娘の誕生についてそう日記に書いてある。今日、その娘が31歳の誕生日を迎えました。同じ31歳の5月にわたしは初めてポルトの空港に下り立ったのでした。

31年の月日は一人の人間の人生のひとくぎりにもなろうかと思う故、今日は古い日記からモイケル娘について走り書きしてある成長の記録もどきを、メモとしてあげておきたいと思います。

・一ヶ月目くらいより母乳とミルクを混合する。体重3720g 身長54cm。よく吐乳する。
・1986年6月 リスボンの日本大使館に出生届。
・一ヵ月半 時々なん語を話す。
・4ヶ月の終わり頃、寝返りを始める。
・1986年10月 微熱37.8度。ひだりほっぺが赤く熱い。三日ほど物静か。気分が優れない様子。左下、歯が出るきざし。そのせいであろう。

・1987年1月 満8ヶ月。しっかりしたお座りができる。プレイペン内でしばらくつかまり立ちをする。
 離乳食は日に2度。食欲旺盛。ママ~、ババ~、パパ~、ナナ~など、言葉が出始める。我が両手をつかみ、だっこをせがむ。歯が出始める
・長男、モイケル娘をギュッと抱きしめるが、彼女はイヤがる。ギュッのなかには少しヤキモチが入っているようだ。

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・1978年2月 ひとりでつかまり立ちができる。三種混合予防接種をする。ほとんど泣かず。
  息子のベッドから落ちる。満9ヶ月になり、ハンバーグ、マカロニグラタンを食べ始める。
・一歳なると同時に歩き出す。目下興味の対象はトイレと台所。気に入らないとキーキー叫ぶ。
・17ヶ月。ネコと遊ぶのが大好き。両手の甲にネコの引っかき傷がたくさんある。
Anda cá(こっちへおいで), Que é isto?(これ、なぁに?) Então(それで), taotao(お尻ピシピシ)
ありあと、などの言葉が出てきた。

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・17ヶ月。 いたすらざかり。次から次へとものを引っ張り出したり、椅子にのったりするので少しも気が休まらない。「だっこ」「マルコ?(兄貴がベランダからよく呼ぶ近所の子の名前であろう)」をさかんに口に出す。
・一歳半 哺乳瓶を完全に卒業。冷たいミルクを好む。

この頃の我が日記には「アメリカンインディアンの教え」というのが書かれてある。

子どもたちはこうして生き方を学びます。
批判ばかり受けて育った子は 非難ばかりします。
敵意に満ちた中で育った子は 誰とでも闘います。
冷やかしを受けて育った子は はにかみ屋になります。
ねたみを受けて育った子は いつも悪いことをしているような気持ちになります。
こころが寛大な人の中で育った子は 自信をもちます。
ほめられる中で育った子は いつも感謝することをしります。
公明正大な中で育った子は 正義心をもちます。
思いやりのある中で育った子は 信仰心をもちます。
人に認めてもらえる中で育った子は 自分を大事にします。
仲間の愛の中で育った子は 世界に愛を見つけます。

この後、我が日記は間が空き、1991年、娘が満5歳のときのメモ。

・美しい5月に生まれた娘、豊かな個性を備えてきた。両手を腰にあててプーッとふくれ口をとんがらかすさまはいかにも可愛い。近頃は会話の中に英語が混じってくる。字を書くときは左手の方が運び易いらしく、左利きである。

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この日の誕生日、彼女が私にハッピーバースデーのピアノ演奏を頼んだのは意外だった。

・1991年10月(5歳) 近頃おもしろい質問をしてくる。なぜ夜になると暗くなり、目が覚めると明るいのか。なぜパパにはわたしたち3人がもつ姓がないのか。夢のなかでは死んでも大丈夫だよ、などと、不思議なことを言う。
・1992年1月 (5歳)ピアノレッスンを始める。ひらがなの読み書きができる。足し算ができる。
・1995年6月 所沢北中小学校3学年への体験入学
・1999年7月 親子3人でイギリス旅行(思春期の息子は友人と別旅行)

我が日記はこの後、子育てと補習校の仕事、家庭での子どもたちの通信教育学習の手伝い、子どもたちの学校、習い事の送迎などに追われる日々突入し空白になったまま、2004年の初開設ホームページの日記に入っていきます。

この後の娘の足取りは既に拙ブログに書き記してあるように日本大学受験を目指し、日本へ帰国し(彼女に言わせれば)東京の大学入学、北九州への編入、卒業、3年間の社会人、大学院入学卒業、社会人、そして昨年11月の結婚と、こうして書くと味も素っ気もありませんが、31歳の人生などそんなもの、本当の人生はこの先に待ち構えているのであります。

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日本の大学入学後、憧れのプリクラなども体験w

ポルトにいて日本の子どもたちに思いを馳せるとき、遠い見知らぬ異国に嫁いだふうてん娘のわたしを既に鬼籍に入った母、いったいどんな思いで見つめていたのだろうかと、その心持にようやく到達したような気がします。

子どもたちよ、明日のことは分からないが、今日を目一杯無事に生きてくれますように、そして、モイケル娘よ、誕生日、おめでとう。
最後にわたしが好きな娘のスナップ写真をここに。

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写真おくれ~とわたしにせがまれ、日本から送られて来たのがこれ。本人はもう持っていないと思われるが、わたしの気に入りのスナップである。暗さに真剣さがみなぎっている(笑
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2017年5月8日 (月)

ひとつ年下なのに、どういうわけか友人のイラストレーターちゅうさんから「バリバリ、ポルトを闊歩している姐さん」とコメントに書かれるわたしでありますが、本当言うと、午前中のスケジュールをその人のために空けてあるところの某企業のおエライさん、マセラッティの君がこの所ご多忙で、12時までは自由時間が続いており、でれ~と過ごしていた一週間でした。

が、そんなことがふっとぶくらいに忙しかったのが先週末でした。例年だと3月の補習校春休みに催すわたしとOちゃんの日本語教室恒例のパーティーなのですが、今回はその時期にわたしが日本帰国中となり、やっと昨日の日曜日にすることができました。

わたしたちが呼ぶところのNHKパーティーとは、「Nihongo wo Hanasu Kai」の頭文字をとっての名称。春休みに催すのは、わたしは土曜日午前中に、相棒のOちゃんは土曜日午前中の補習校、そして午後には日本語教室があるという状態なので、両方がなんとか時間のやりくりが可能な春休みにと、ずっとなってきたのでした。

ポルトで日本語を勉強している仲間は他にもいるのだということを知ってもらうためと、なかなか日本語を耳にすることがないポルトの日本語学習者が、少しでも日本語を使ってみたり耳にすることができたりする機会を作れないか、という思いから始めた会合ですが、いつの間にか生徒たちから「今年のNHKパーティーはいつですか」と催促が来るようになり、今年はその6回目と相成りました。

去年まで教室として使用させてもらったLapa教会の側のOちゃん一家が昨年夏に他所へ引っ越したもので、会場はそちらへ移動。生徒たちには「この通りの203番地です」と何度も繰り返し案内しての当日、土曜日の夜と日曜日早朝に準備した料理を車に積んで、「Oちゃん、今から行きますぞ~」と声をかけ、夫の車でOちゃん宅に着きました。

既に何度か来ているのでもちろん知っている場所ではありますが、これまでは常にOちゃんがアパートの玄関先まで降りてきてくれたのでした。

さてと、車から料理を運び出したところが、おろ?204番はあるけど203番がないじゃん?えー!
外からドアガラス越しにアパートの中のロビーを覗いてみると、確かにここだよ。もう一度番号を見直しました。やはり203はなく204でありまする。

プッシュボタンで部屋番号を押すと、「は~い」と聞きなれたOちゃんの声が応答。あちゃ~~~、生徒たちに番地を間違って教えちまった!いやはや、困ったドジではあります。お陰で、パーテイー開始の時間1時半ともなると、我がケータイ電話、「先生、203番地がありません!」と鳴りっぱなし。

ケータイが鳴るたびにOちゃん一家と先に会場に到着していた生徒たちが「ワッ!」と大笑い。
あははは。これがYuko先生なのだねぇ。しっかと粗忽者だと印象付けたのでありました。トホホホ。
しょっぱなからそんな具合で始まった第六回YY塾NHKパーティー、母の日と重なり15名ほどの欠席はありましたが、25人ほどのパーティーになりました。

まずは今回のメニュー紹介から。

NHKParty2017
Oちゃんの山盛りの焼きソバ。揚げぎょうざとほうれん草の胡麻和え、トリのから揚げ(Yuko)

NHKParty2017
卵、ツナ、玉ねぎのマヨネーズ和えサンドイッチ、定番の巻きずし、&鶏肉ソテー(Yuko)

NHKParty2017
今回の初もの。Oちゃんのそうめん。20数人分、きれいにパックで用意しました。わたしは食べ損なったのであった^^;下は5月5日の子どもの日に因んだ鯉のぼりのはし袋。さすがOちゃんのグッド・センス!

NHKParty2017

この他、評判定番のカレーライスとYukoのグラタンは後ほど出されました。食事の締めはケーキで。

NHKParty2017
ケーキは毎回生徒さんの一人に注文して作ってもらいます。

差し入れのさくらんぼ、数本のワイン、日本酒があり、みなさん、和気藹々にポルトガル語で話しておりました(笑)ただし、全員一人ひとりに日本語での自己紹介は毎回してもらいます。

NHKParty2017
ベテランも初心者も全員集合。

前夜12時までカレーライスとグラタンを作り、カツとから揚げの下準備をし、日曜日は5時起きで巻きずし、いなり寿司、揚げ物を仕上げて、パーティーの後片付け終了は6時半。くたびれ果てて帰宅後、内ネコ外ネコのエサをあげ、少し横になるつもりが今朝の6時まで寝入ってしまったのでした。ダンナの晩御飯、忘れたのでした。てへへ・・・・(汗)

Oちゃん、今年もお疲れさま&ありがとう!

後は影絵作成、参りますぞ!

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2017年5月5日

ドウロ川も上流の地域、蒸気機関車終着点、寂れてほとんど駅しかない「Tua=トゥア」から、出発点であるRegua(レグア)への帰路、書き留めておきたい出来事に遭遇したのであります。

ピョーピョーとなるSLの帰路の汽笛は、なんだかやけに哀調を帯び、旅の終わりを告げるかのようでした。車内は指定席ではないので、途中の2度の停車駅でわたしたちは車輌を変えてみました。最後は向かい合った座席が4つしかない小さな車輌でした。

乗客はわたしたちと、わたしたちの席の向こう座席の老人だけです。あれ?ポルトガル人の年寄りの一人旅とは珍しや?ポルトガルでは夏休みはたいがいカップルで、あるいは家族連れでの旅行者がほとんどですからね。

ドウロ川添いに走る往復3時間半ほどのSLの旅も、いよいよ終わろうかと言うころ、最後のサービスででミーニュ地方の民謡を奏でて歌う5人の楽隊が各車輌を回っていました。

楽隊がわたしたちの車両にやってきて、陽気な民謡を演奏しました。二曲目、三拍子のなんだか少し哀調のある歌が始まり、夫と向かい合わせに座っていたわたしは、なんとはなしに向こう座席の老人に目が行きました。


手拍子を取り、一緒に歌を口ずさんでいます。我が夫はというと、なにやら帰りの車のルートを確認するのに地図とにらめっこ。音楽も終わり楽隊が隣の車両に移って行き、わたし達の車両は再び静かになり、ガタゴトガタゴト、汽車は揺れ老人もわたしたちの体も揺れ。

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と、その時、先ほど楽しそうに手拍子を打って歌に合わせていた老人の目にみるみる涙が溢れてきました頬をつたう涙が落ちるのを人に知られまいとと頬をぬぐうその仕草を3度ほど、それから車窓に両腕を乗せ、さざなみ光るドウロの川面をじっと眺めやっていました。

わたしは見てはいけないものを目にしてしまった思いがして、気持ちがざわめき、帰宅してからも老人のその姿が頭を離れず、あれこれと思いを巡らせずにはおられませんでした。

老人の顔に深く刻まれたしわ、日に焼けた肌、そしてごつごつしたその手からして、農業、もしくは漁業に携わってきた人であろう。あの歌に過ぎし日の思い出があったのだろうか。死に別れた伴侶のことか、それとも若き日の恋人だろうか・・・このSLの一人旅そのものが、過ぎし日の思い出をたどるためだったのだろうか?

とっさに夫には言えないような情景を見たのでした。

近頃は、行く先々のあちこちのスナップに夫が写っていて、あぁ、せっかくのいいアングルなのに、旦那が入ってるよぉ。「あぁた、ジャマだから、ちょっとそこ、のいてよ。」とは言えなくて、困ったもんだ、と思ったりしていた常日頃。

くだんの老人を思い出すと、もしかして将来わたしが先にいなくなった場合の夫、あんな風に一人旅をするのかなぁ。あんな孤独な夫の姿を天上から見るのはイヤだな。夫より先には逝けないなぁ」と思ってみたり。

え?憎まれっ子世にはばかるで、あんたが先に逝くことはないから心配すな?だ、誰だい、人がしんみり慮っている横からそんなこと言ってるのは!

さてもさても、SLの吐くススがらみの煙と老人の姿とで、ホンに煙が目にしみたドウロ川SLの旅ではありました。


オールディーズ「煙が目にしみる」はこちらで、聴けます。
The Platters、いいですよ^^

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2017年5月4日(木) 

それにしてもこのSL、姿まことに麗し!終着駅トゥアに着いたほれぼれするようなHenschel & Shoen Steam Engine 0186(1925年)の姿です。

SLの旅

ドウロ線は1873年に敷設工事が始められ1883年にTuaまで開通し、このSLの旅ではRegua(レグア)、Tua(トゥア)間46キロを5車両で250人の乗客を運びます。

SLの旅
夫が撮った一枚。SLの吐くもうもうたる煙に包まれて、素人レポーターも楽ではない(笑)

SLの旅
Henschel & Shon Engine 0186(1925年)のマーク。 

SLの旅
鉄道員は休む間もなく、これからリターンの準備。

SLの旅

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方向転換完了。最後の点検。 

SLの旅
ロコトラクターはDeisel shunting Engine 1185(1956年)

SLの旅
トゥア駅で静かに休む引退SL。型からし蒸気機関車初期のものでしょうか。

SLの旅
トゥアの駅。2009年には駅の前に小さなカフェがあるのみで他はなにもなかった。  

SLの旅
こんなレトロな「電報局」が見られるのも古い終着駅だからこそ。もちろん現在はオフィスとして使用。

SLの旅
2009年7月11日午後4時7分のトゥア駅。

というので、このSLの旅は2009年のことでしたが、今年はディーゼル機関車の旅が6月から開始 だそうです。
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2017年5月1日(月) 

SLの旅

午後2時46分にレグアを出発のSLの旅、発車まもなく車内ではポートワインとおつまみ出されました。

SLの旅
楽隊の楽しい音楽とともに、時々口げんかもするが、とにかく今日は我らの人生に乾杯!ということで。
           
SLの旅
ドウロ川川沿いに煙をもこもこ吐きながら走るSL。時々川を上り下りする観光船と行きかい、こちらからもあちらからも乗客が手を振り合ってご挨拶

とまぁ、このあたりに来るまでの2度、トンネルに入り、この年は全窓開放だったので、黒煙が遠慮会釈なく入ること入ること!(笑)ススで鼻孔も真っ黒になりました。往復、4度のトンネル通過と、走行中の煙とで、夜、帰宅して浴びたシャワー、流れる水は真っ黒でありました。やがて汽車は小さなピニャンの町に入ります。

SLの旅

ピニャォン駅舎
SLの旅

ピニャォン駅では、ドウロ川上流の景色を描いた美しいアズレージュ(Azulejo=青タイル絵)が見られます。

SLの旅
9月の葡萄の収穫(Vindima)の様子。

SLの旅
葡萄を収穫する女性(Vindimadeira)

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昔のドウロ地方の服装。

SLの旅

ホームでは楽隊の音楽に合わせ、思わず踊りだす人もいました。
   
往復路、20分停車するピニャンの駅の「ワインハウス」では、ポートワインを始め、ポルトガル産のグルメが売られています。
SLの旅

ピニャンの町について

夏季とぶどうの獲り入れ時期をのぞいては、ひっそりとした死んだような町だが、5月から10月にかけての土曜日のSLが停車する20分間は、生き返ったようなにぎやかさを取り戻すことだろう。

SLの旅

鉄道が乗り入れる以前のピニャンの人口は300人ほどであった。1880年のドウロ線鉄道開通以来、ピニャンには多くのワイン倉庫建てられた。ポートワイン会社「Taylors」の大倉庫だったのが、現在は「CS Vingate House」と呼ばれる5つ星のホテルになっている。ホテルからはドウロ川の景観が眺められ、夏場は満室になることだろう。 

Vintage House Hotel
     住所:Lugar Da Ponte -5085-034 , Pinhao , Portugal
      Tel ::+351 (0)254 730230 or fax +351 (0)254 730238
    
次回は、終着駅「トゥア」を紹介いたします。
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