2017年3月7日 

土曜日の展示会報告は別の日にするとしまして。

一昨日、日本語生徒の一人、H君を日本へ送り出しました。と言っても、4時半くらいには空港へ出向いていなければならない早朝の出発だというのと、できれば家族が別れを惜しむのを邪魔したくないというのとで、わたしは見送りを遠慮したのでした。

来なくてもいいのだよと言うのに、H君は忙しいなかお母さんを連れて金曜日に我が家へ、土曜日には展示会場へとわざわざ二日続けて挨拶にきてくれました。

ふと思い出してみると、偶然にも8年前に長男を見送った日にちとたった一日違いで、H君は旅立ったのでした。ありきたりの言葉ですが、当時の息子同様に、希望に胸膨らませて出立したことでしょう。何しろ、子どもの頃からの夢が日本に住むことだったと言うのですから。
だもので、日曜日は、フランクフルトについただろう、乗り換えてるだろう、機中だろう、背丈が高いので窮屈だろう、そろそろ日本に着くころだ、新幹線の乗り継ぎは無事にできただろうか、と日がな一日、そんなことを考えながら、あれこれをしていたのでした。

ポルトガル時間の午後11時半頃、無事日本到着とのメッセージが入り、lineで少し話すことができました。万が一、日本到着後、何かが起こって連絡があるやも知れぬと、普段寝る時はオフにするケータイをオンのまま枕元に置き、実は夜眠れずに悶々としていたのでありました。

午前3時ちょっと過ぎ、ついに起き出し、或いは?と思いFBを開いてみると、おお!品川駅の動画だ!そしてやがて、目的地に着いて迎えの人に会ったとのメッセで終わり。

長男のときも同じ具合のわたしで、何度も寝返りを打っては一睡もせず、翌朝は目に見事な隈を作ったのでした。当分は、わが子たちがしたように、慣れない日本の生活で色々な冒険をすることになるだろうH君、時には初心を思い出し、がんばってねと、願わずにはおられません。

H君の出立を思うにつけ、息子が旅立った8年前に思いを馳せ、当時の日記を引っ張りだしてみました。どぞ。

2009年3月4日 行きました、息子

衣服は二の次で、分解したpc接続音楽機器のパーツの箱二つを大事そうにバックパックに詰め込んで背負い、ノートパソコンを持って。

大きな旅行カバンは、関空に着くや、新しい住まいとなる千葉の新住所に宅急便で送ることになるので、何かの時のたま、パジャマくらいは手荷物に入れろというのに、音楽機器で重量目一杯、パジャマなしでも寝られると言って聞かない。

出発前々日まで、画家の友人ジェスパー君の引越し先となるアパートのペンキ塗りを手伝いに行き、夜な夜な出かけては午前様。出発の前夜、翌朝は4時起きと言うに、まだ出かけようとするので、さすがにのんきなおっかさんも、 「バカたれめが!いい加減にせぇ!」と爆弾落とし(爆)

リスボンから引き上げて来たこの二週間、ひと時もじっとしていることのない息子ではありました。

出発前、「お前、千葉に宅急便で送るはいいけど、漢字は大丈夫?」と聞くと、「うげ!ローマ字じゃダメかな。漢字書かなきゃダメだったら、書いてもらうから、プリントしてよ。」っとっとっとっと、マジかい、息子^^; こりゃ先が思いやられること、目に見えし。(その息子も今は日本語能力試験1級の勉強をしている)

9年間、毎週土曜日の日本語補習校に通い、通信教育も同じく9年間しっかり修めたとは言え、中3を卒業して以来今日まで13年間、わたしと話す以外は日本語からずっと遠ざかって来た彼、無理からぬことではあります。

さて、3月3日、昨日の朝6時の便でフランクフルト→関西空港→福岡→下関へと26時間の長旅です。やっと日本時間で今日の夕方、下関にあるモイケル娘のアパートに到着でした。

着くなりモイケル娘、「兄貴、関空でタコ焼きと納豆巻きを食べて、今、コンビニで肉まんとカルピス買ってきて食べてる・・・」カルピスは、1年に一度、クリスマスとお正月にマドリッドから取り寄せる貴重な飲み物で、息子の好物なのであります。肉まんも然り、この手の日本食はこちらではとても高いもので、そうそう買えるわけではないのでした。

息子よ、分かる分かる^^

で、更にモイケル娘が続けるには、「アパートに靴履いたまま、あがったんだよ~」これにはわたし、あっはっはっはと大笑い。だって、これ、昔、わたしたちが帰国して所沢の妹宅に滞在する度に、「ジュアン君!また靴履いたまま家にあがってる~」と彼女をしょっちゅう泣かせていたのであり、あぁ、成長のないヤツめ、あの頃のまんまではないか@@

昨日まで息子の気配があった彼の部屋は、もぬけのカラ。使い古された数本のエレキギターが、おっかさんとおとっつぁんの気持ちを反映するように、生気を失い寄り集まって立てかかっています。

今晩、妹こと我がモイケル娘のいる下関で一眠りして、明日の朝はいよいよ、二人は、いえ、「二人+3匹の猫+それぞれのパソコン+それぞれのバックパック」らは、一路新幹線で関東へ移動です。

その格好を想像するにつけ、噴出さずにはおられないおっかさんであります。


2009年3月6日 ズッコケ兄妹の東京移動

「昨日ね、(下関の)ショッピングセンターへ行って、マッサージチェア(電気あんま椅子だよ、それ^^;)座ってみたら、いつの間にか眠っちゃった。」「そしたらね、靴を脱いでください、それにここは寝るとこではありません、て言われた。あはは」
ん?と思い、話をよく聞いてみました。

わたし 「モイケルはその場にいなかったの?」
息子  「いたよ。モイケルも別のに座ってた。で、ぼくの前に中年の男の人も座ったんだ。 その人もちょっと寝てたけど。」と言う。

モイケルは靴を脱いだが、その中年の男の人は靴を履いてあんま椅子に座ったいたのだそうだ。
それでこの母、のんびり者とはいえ、そこは海千山千(笑)、アッと思い、

「お前、ここを出たときのあの靴履いてたんじゃないの?」
「うん。穴があいてたし、それにジャスパー(ポルトに住む幼友達。発つ前の日まで彼の新居のペンキ塗りを手伝っていた)のとこでもそれを履いてたから、ペンキもあちこち付いてた。」

思ったとおりだ。長旅でひげも剃ってないだろうし(パジャマ同様、電気シェーバーも手荷物に入れろと言ったのに、聞かなかったw)、頭の髪だっていい加減な自己床屋だし、その上、穴あきペンキ付きの靴とくれば、これはもう立派なホームレスじゃん・・・

「お前、ホームレスと間違えられたんだよ! 」「うはははは。」と笑う息子、はい、母親も一緒に笑ってしまいました
です^^;

発つ前に、靴もポルトガルのは履きやすいし、物がよくて値段も廉価、買っていけ、床屋くらい行っておけと言うたのに、なんだらかんだらと出歩いてちっとも家におらず、結局、日本で買うからいいや、と件(くだん)の穴あきペンキ付き靴を履いて行ったのでありました^^;

こんな具合ですから、いったいこれからどんな展開になるのか、困ったような可笑しいような。
職場ではスーツを着ることになっているので、当分は着付けなくて借りてきた衣装を身に付けた感じであろうと想像すると、もう腹がよじれてきます(笑)

日本上陸第一日目がこんな風で、翌朝には東京へ向かった「二人+3匹の猫+それぞれのパソコン+それぞれのバックパック」らですが、頃合を見計らってモイケル娘の携帯電話にメッセージを入れますと「つかれた~~」と返信一言。

その後すぐに引越し荷物が到着し、アパートの4階まで引き上げたようで。ちなみにアパートはエレベーターなし。よくやるよ(笑)

少し前に所沢の妹と二人の引越しについて話したのですが、その際にそれぞれがパソコンも運ぶので3匹猫をどうやって運ぶか?となり、今でこそあまり使われないでしょうが、わたしの若い自分にはキャリーカート(↓)なるものが重宝されたものでモイケル娘に

これを買え!と勧めてあったのでした。
1カート

一人はペットケージをひとつ持ち、もう一人はこのキャリーカートにペットケージ二つをくくりつけて運べばよか~、と考え^^

すると、この話を聞いた我が妹、なにげにか、クスッと笑い、「面白いね、ゆう(彼女はわたしをそう呼ぶ)が昔したことと、似たようなことを、子供たちもするんだわ。おっほっほっほ」
 
に、似たようなこと・・・
 
あぁ、思い出せば遥か遠い昔、2歳の息子を連れて3年ぶりの初めての里帰り。当時、ポルトガルから日本へ帰国するには、必ずヨーロッパの乗り継ぎ都市で一泊しなければなりませんでした。
 
ロンドンのガトウィック空港ホテルで一泊し、翌朝リムジンバスでヒースローへ移動。ロンドンから日本まで18時間、ポルトからは2日がかりの旅でした。

旅行カバンは紙おむつと離乳食とでパンパン(笑)よちよちと歩き始めた2歳の息子を腕に抱きかかえるのはとても体力なく、思いついたのがこういうのでした↓

カート2


そ、そうです^^; ショッピングカート(笑)
    
これに荷物の如く息子を入れて、ヒースロー空港、成田空港、そして、一日の仕事も終わった人出でごった返す夕暮れの池袋の街中を、「あーっはっはっは!」と指差され笑われながら、ゴロゴロひきづって妹宅へたどり着いたのでありました。

恥も外聞もなく、されど母は強し(笑)しかし、このショッピングカートをポルトで調達するのも苦労したのでありまっせ^^妹はこの時のことをしっかり覚えておったのでした。

歴史は繰り返すってかい!お粗末さまでした。―――日記、ここまで。


H君の出発にあたり、ひとしきり、8年前の子どもたちのことを思い出して、あれから、モイケル娘は13年、東京息子となった彼は9年目を迎える日本滞在です。月日の流れにしみじみ思いを寄せていたのでした。おっかさんも年取るはずですわぃ。

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2017年3月3日 

明日、土曜日の文化展の準備でここ数日、バタバタしています。

今回は、持ってるものぜ~んぶお見せしますよ、という趣旨の芸術性まったく抜きの展示会です。ちょっと面白いものでは、小袖、刀の柄頭(つかがしら)も幾つかご覧になれます。ポルト近辺の方、興味がありましたら、お気軽にお出かけください。入場料は無料です

以下、ご案内いたします。

Um Espaço de Cultura Japonesa
                Por YY-Nihongo Juku

16-1.jpg
画像はWikiより

Local: Bibliotéca Munincipal Almeida Garrett
Sala UNICER
Data: 4 Março 2017
Hórario: 13:30 – 17:00
Entrada:Gratuita
Contacto:+351 226 081000 (BMAG)

では、みなさま、報告は後日に。

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2017年2月28日 

今日はカーニバル休日ですが、例年の如く、うっとおしい天気です。
南半球のリオは今夏で、華やかなパレードも暑いからこそでしょう。リオのカーニバルパレードにはとても及びませんが、ポルトガルのあちこちでもパレードが催されます。

もとはと言えば春の到来を祝う祭りであったと言われ、謝肉祭とも呼ばれますが、ポルト近辺でよく知られるのはオバールのパレードですが、ポルトでも行われますが、残念ながら、今日はわたしは、今週土曜日に、市立図書館で開く「日本文化展示会」が控えており、自宅でその準備です。
その合間を縫って、日曜日に夫と行って来たダウンタウンの「Steak 'n Shake」を紹介します。

Porto Steakshake
 
少し前にも拙ブログで書きましたが、ポルトは今年もヨーロッパで一番いってみたい街のトップに選ばれ、ツーリスト相手に、今大変な勢いで街の中に新しいスポットが生まれています。これはこれで、街の発展につながりるのでいいのですが、観光ブームもいずれ衰える時がくるだろうことを思えば、こんなに店やホテル、ホステルが出現してきて大丈夫なのかと気になるところでもあります。
が、一般人のわたしが心配してもせんないこと。ブームにのって今を楽しみながら、ことの盛衰を見てみようかと思っています。

Porto Steakshake
ロゴが入った赤いバイク

さて、Steak 'n Shakeとは、アメリカのカジュアル・チェーンレストランのことです。1934年にアメリカのイリノイ州から発し80年の歴史をもち、アメリカ全土をはじめ、フランス、スペイン、イタリアなどにも進出しています。昨年はリスボン、そしてポルトにも今年1月にオープンしました。

その際に話題をさらったのが、店の外壁一面を彩ったカラフルなアズレージュ(azulejo=絵タイル)です。

Porto Steakshake

これは今やポルトガルを代表するプラスティックアーティスト、Joana Vasconçelosの、8000枚のアズレージュからなる作品です。
 
店内にも同アーティストの作品が見られます。

Porto Steakshake

Porto Steakshake
 
レジで払った後、この番号札をもらいます。

Porto Steakshake

店舗は3階建て。1、2階はテーブル席、3回は化粧室。下の画像は2階。
Porto Steakshake

Porto Steakshake
 
1950年代のアメリカの様子も、壁に貼られた写真からうかがうことができます。この時代はエルビス・プレスリー、オードリー・ヘップバーン、テレビを始めとする電化製品の普及、そして写真に見られるアメリカ車など、アメリカン・ヴィンテージとも呼ばれるかの国の黄金時代です。

Porto Steakshake

Porto Steakshake

上は夫が頼んだもの、下はベジタリアントーストでわたし様。
Porto Steakshake

因みに、ステーキはメニューになし。Steakとはステーキバーガーのことだそうです。

本日はこれにて。
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2017年2月21日 

月曜日は自宅日本語教室が忙しい日です。

10時半から1時まで2クラス、そして、3時半から6時まで2クラスあり、授業準備も入れると7時間ほど縛られることになります。

昨日がそれで、「うへ、今日は日本語が4つだ。近頃はこれがちょっときつくなってきたなぁ」と、起きてきた夫の顔を見て、問わず語り。苦笑いしてました、彼(笑)

月曜日午前中の2クラスの生徒さんは、長年日本語学習を続けてきたGGズ、二人です。GGズとはわたしの彼らへの呼称。年配者こと、じいちゃんたち、からジィジィズともじったのですが、考えてみたら自分もそれに入る年代になっていたのでしたっけ(爆)ま、教わるも教えるもGGズ、ということですわ。

月曜日のGGズには紅一点、76歳のマリアさんがいるのですが、彼らの授業がおいそれとは行かず。十分な下調べを要します。しかし、下調べをすることで、自分の勉強、確認にもなり、楽しい部分でもあります。

一つは、この間から百人一首の勉強でブログに登場している83歳のアルフレッドさん、そしてもう一人が上述のマリアさんで、彼女とは目下、森鴎外の「高瀬舟」を読んでいます。これまでの日本語教室で「高瀬舟」を取り上げるのは、マリアさんで3人目です。

彼女は、コインブラ大学で言語学を選考し、当時、教授に「マスターコースを取って大学に残らないか」と声がかかったほどの優等生でした。が、結婚により、ポルトガル語、英語、ドイツ語の高校教師の職を選択した人で、時にポルトガル語で翻訳本も出したりしています。

そんな人ですから、ツッコミが細かいのであります。 加えて彼女、今回は「高瀬舟」を自分用にポルトガル語に翻訳したいと言い出し、実は毎回たじたじのわたしであります。

翻訳となると、適切なポルトガル語を探ることになり、そのためには時代背景の理解も必要になります。日本語の動作、表現の機微も、説明を要します。

語彙で言うと、町奉行ひとつをとっても、「現代で言うと警察と裁判所のようなものです」とこれまでのような説明に終わるわけに行かず、「え~とですね、寺社奉行、勘定奉行とあわせてこの時代の三奉行のひとつが町奉行です。町奉行には、北町奉行、南町奉行がありました、交代で業務を行っていたのです。」というところまで説明していきます。

「お白洲」にいたっては、今の法廷に当たり、ここでお裁きがなされます、と、かつて子供たちと訪れた時の「日光江戸村」での「遠山の金さん」お白洲の画像を出してきて、「これがお奉行様、そして両脇でお白洲に座っているのが多分同心です」

日光江戸村「遠山の金さん」

これは日本の時代劇のお奉行さまこと、「遠山の金さん」のお白洲場面ですよ。と付け加え、ふふふふ、ついでにこのシーンの名セリフ、

「おうおうおう!!!あの日あの時あの場所で、うぬらの悪の一部始終、この遠山桜がしっかと お見通しなんでえぃ。おぅ、これでもしらぁ切ろうとでもぬかしやがるのか!? どぉなんでぇい。さっきまでの威勢のいい剣幕、どこいっちまったんだょおぅ!」
と言うのまで披露しちゃったお調子者でありました。

こりゃいかんなぁ、高瀬舟にもどらないと、この決め台詞を面白がって書き取ろうとするマリアさんを制止し、再び真面目な顔で、「高瀬舟」に戻ろうとしたところで丁度時間と相成ったのでありました。お粗末さまでございます。

本日はこれにて一件落着だぃ!
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2017年2月19日 

ポルトの美しい街並みを見るにはドン・ルイス1世橋を渡り、向こう側の「カイス・デ・ガイア」から眺めるに限る。それこそが絶景なのだ。これを見ずしてポルトを見たというべからず。赤レンガの屋根が段々畑のように重なり、他を抜きん出て建つのがポルトの象徴、クレリゴス塔である。

リベイラRibeira

このドウロ河岸ポルト側をリベイラ(Ribeira=川岸)と呼ぶのだが、ユネスコ世界遺産指定区域であり、式を通して訪れる人々を魅了し続けている。

リベイラ

川岸にはオープンカフェ、ポルトガル料理の老舗レストランや土産店が軒を並べ、その前方には二重橋のドン・ルイス1世橋が美しい弧を描き、二重橋の上段を黄色のメトロ、ユーロトラムがゆっくり渡る。

ribeira

天気が良い午前中に訪れると、こんな光景も見られる。
リベイラribeira

さて、リベイラの中ほどに、壁に埋め込まれた青銅盤「Alminhas da Ponte (alminhas=記念碑、記念盤)に気づく人はいるだろうか。

リベイラのAlminhas da Ponte↓
リベイラ

青銅版の上にはキリストの姿が描かれ中間には渡し舟も見られる。

1809年3月29日、ナポレオンの命を受けてフランス軍は二度目のポルトガル侵攻を試みた。この時、Soult将軍は前回目指したリスボンを避け、北部から侵入、ポルトへと向かった。

フランス軍侵入の噂を耳にしたポルト市民達はドウロ川を渡って対岸のガイア市に活路を開こうと、いっせいにPonte das Barcasを目指したのである。

pontedasbascas1.jpg
手前がリベイラ、向こう側がガイア。Wikiより。

もとよりたかが20艘の渡し舟からできている橋だ。波のように押し寄せる人々の重さには到底耐え切れず、橋はもろくも崩れ多くの一般市民が溺れ死んだと言われる。その人々の鎮魂のためにこの銅像版は作られ、今日も祈りの火を絶やされないでいる。

付け加えたいのは、ドウロ川の夕暮れもまた、えも言われぬ美しさがあることだ。

リベイラ

リベイラ

本日はこれにて。
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